部屋が片付いていないと気が滅入るタイプなので物の断捨離は出来ている方だと思うのですが、心の断捨離は全然出来ない私です。


手放し手放しってよく言うけれど、いかんせんスッパリはなれてくれないので、諦めて一緒に生きていくことにしました。


未だに夢に見る、息子が小さい頃のこと。


まだ一歳にも満たない頃だけど、1日中機嫌悪く泣き続ける息子に疲れて、児童館の親子ふれあいイベントに連れていくことにしました。

何か変わるんじゃないかって思って必死で。


今考えると、そんなこと全然頑張らなくてもいいことなのに、当時の私は「何ヶ月になったら児童館に連れて行かなければならない」「外の世界と繋がりをもたなくてはならない」という変な思い込みがあり、頑張っちゃったんだよなあ…


案の定、そこでは家以上に情緒不安定になった息子ですが、せっかく来たのだからと頑張って手遊びに参加することにしました。


そこで私の心は折れました。


事前に名前を聞かれて、輪になって座って1人ずつ名前を呼ばれてバンザーイとかする、シンプルな遊びでした。



もうすぐ息子の名前が呼ばれる。



はずだったのですが、息子は違う名前で呼ばれてしまいました。

一文字違うとかじゃなくて「ちくおがゴンザレスになった」そのくらい違う名前。


ただそれだけのこと。

悪気はないと思う、ただの勘違い。

でも無理でした。違う名前にバンザイしながら涙が滲んできて、終わったら挨拶もせずに逃げ帰りました。そして二度と児童館に行きませんでした。


もう、すでに表面張力いっぱいだったんだと思います。少し揺さぶられただけで溢れるくらいに。やっぱり世界は私を無視するんだね、と思いました。


その後、1歳半検診がありました。


育てにくい息子に私はますます疲弊していて、その頃は息子と向き合うより自分を抑えるのに必死でした。

白状すると、何かのタガが外れたら息子をひどい言葉で罵ってしまうかもしれない、叩いてしまうかもしれない、だから毎日必死で心が暴れ出さないように呼吸を整えている。そのくらいに疲れていました。


検診会場で暴れて泣いているのは息子ひとりで、みんなお母さんのお膝の上でニコニコしているように見えました。息子は地獄ツアーにでも来たかのように、身長体重測るのも何をするのも大暴れで号泣。


そんな中、たまたま隣に座っていたお母さんが話しかけてきました。



お母さんの目には、会場にいる赤ちゃんたちは天使のように見えていたのでしょう。
私には、その余裕がない。


息子を可愛いと思うだけで精一杯なのに、他人の子を可愛がる余裕は全くありませんでした。


明らかにドン引きしていました。


ああ、しまった…。やってしまった。

このお母さんと私の世界は、まるで違うんだな。やっぱり世界は敵だと思いました。


その後もややこしい息子を可愛がったり腹立ったりしながら必死で育ててきて小学生になりました。


2年生の後半、息子が虐められていることが発覚しました。



何故キノコ菌だったのかは、息子は当時マッシュルームカットだったからです。

何も気づかなかった自分に腹が立ち、聞いても虐められていないという息子に腹が立ちました。


ほらね、世界は…


でも3年生になって担任の先生が私たちに寄り添ってくれて、ようやく通級もはじまって、全てが良い方向に流れていきました。

そして、私は粉々になった自分を少しずつ修復して、息子は優しくなった世界で成長していきました。


今は今でややこしい息子ではありますが、あの頃を思うとなんて平和な日々。


だから、こんな辛かった思い出はもうさようならしていいのですが、たまに思い出すと胸が痛くなります。

なので、捨てられないなら有効活用することにしました。


辛い思い出は、お守りにすることにしたのです。


今、息子に多少イラっとすることがあっても「あの頃よりマシ。全然可愛い」と。


あの頃に比べたら、だいたいのことは何でも大丈夫。うん大丈夫。


そういうふうに活用するなら、辛かったこと手放さなくてもいいじゃんね、と思えました。


それはもはや手放しているのでは、と今気づきました。


お読みくださり、ありがとうございました。