ガチャ論

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注意今回もどーでもいい内容です。

 

今、世間で話題のワード、

親ガチャ。

『子どもの立場から「親は自分では選べない」「どういう境遇に生まれるかは全くの運任せ」と述べる表現。』

実用日本語表現辞典より

 

これに対し世間の反応は

「自分の境遇を親のせいにするのはよくない」

「自分の不幸を周りの環境や社会のせいにして、努力することを諦めている」などなど、色々批判の声が上がっているようだが・・・そんな事はこの際、別にいい。

そういう議論をするつもりはない。

 

ガチャ好きとして、一つ言いたい。

 

ガチャは運じゃないんだよ。

なんだよ。

 

私はこれまで気に入ったガチャを一つのラインナップにつき2回だけ回し、その2回で出た景品を用いて世界観を作り、ジオラマを製作するという密かな趣味を育んできた。

そして、お恥ずかしくもブログで公開したりもしてきた。

 

最初から現在の境地に至っていた訳ではない。

多くの人と同じように、ガチャでたくさん失敗(散財とも言う)を繰り返し、やっと「ガチャは縁」と言えるまでになったのだ。

 

私の最大にして最初の失敗はこちら下差し

キラメッキ楽器で待望のバリトンサックスが発売され、ひたすら注ぎ込んだ挙句がこの戦績である。

結局、お目当のバリサクはおろかバスクラも出ず、やたら出るのはフルートとシルバーのトランペットばかり。

せめてあとトロンボーンが出れば金管五重奏ができるし、バリサクが出ればサックス四重奏ができるが、あと一つなのにその一つがどうしても揃わないのだ。

 

そして2度目の失敗がこちら下差し

記念すべき初めての鬼滅ガチャだったが、この被りよう。余ったポーチの使い道には未だ困っている。

むやみやたらにガチャを回すとこうなる。

 

これらの経験が、私にある決断をさせる。

一つのシリーズにつき2回だけ回そう。

それが今回、私と縁のあった2つなのだ。

その出た2つをどう活かすかを考えよう。と。

 

その後しばらくは「2回だけ」ポリシーを貫き、それなりに推しを引き当てる事も多かったし散財も減ったが、それでも上手くいかない事もある。

 

そう、2回回して2個同じのが連続して出るパターンである。意外とコレが少なくないので、困る。

三角おむすびが欲しかったのに・・・

 

でも、ここで嘆くばかりでは、親の経済力の低さや容姿が芳しくない事を「親ガチャに負けた」と文句だけ言って努力しない人と同じになってしまう。

確かに希望していた三角おむすびは出なかったけれど、竹ざるはジオラマ作りの使い勝手も良くアレンジしやすい。三角おむすびは紙粘土で手作りもできるのでは?と思い、実際作ってみたら上手く作れたので、むしろ良い結果に。

そう、ガチャにハズレても、工夫と努力次第でいくらでも挽回できるのだ。そうなると被って出た2つの竹ざる俵形おむすびすら愛おしい。私を選んで出てきてくれたのか?とさえ思える。

 

こんな事もあった。

楽しみにしていた鬼滅の刃すわらせ隊4。満を持して2回回したら、まさかの無一郎カブリ・・・。

1回400円と少々お高めガチャなだけに、さすがに凹んだ。同じキャラ2つでどう世界観を作れば良いのか?

いっそ無一郎と有一郎という事にして、双子漫才でもやらせようか?とまで考えたが、

 

そうだ、同僚の娘さん(小2)が無一郎推しだ。ならプレゼントすれば良い。喜んでもらえたらカブった甲斐があるというもの。

早速同僚に渡すと、娘さんはたいそう喜んでくれたらしい。その際、何気なくポロっと「本当は悲鳴嶼さんが欲しかったんですけどね」と話すと、同僚が「すわらせ隊2の時の悲鳴嶼さんが家にありますよ!以前に娘が無一郎狙いで回したら出たものです。今回のお返しに差し上げますよ!」と。

マジかい⁉︎

こうして娘さんは推しの無一郎が手に入って幸せ、

私はこれまで一度も当てた事のなかった悲鳴嶼さんが手に入って幸せ、

絵に描いたようなWIN-WINな結末に。

こんなドラマがあるのもガチャの良さアップ

 

親ガチャなら「本当はこういう親がよかったんですけどね」「うちの親と交換しますよ!」という訳にはいくまい。

わらしべ長者的な経過を経て私の元に来た事も、ガチャが縁だなぁと感じる所以なのだ。

 

・・・その後、私はますますガチャにハマり、

とうとう先日、カプセルトイ通販サイトにてコンプセットを大人買いしてしまった。

無駄な被りもなく、確実に全種が手に入る安心感。物欲も満たされる。余計なガラクタも増えずに済む。

・・・しかし。

なんかロマンがない。

やっぱり回す瞬間のドキドキ感や、希望のものが出なかった落胆も含めてロマンなのだなぁ〜と実感。

 

回して出て来るものは、自分が期待していたのとは違うかもしれない。イヤむしろ希望通りのモノが出てくれる確率の方が低いだろう。

それでも私の元に出てくれたモノは、縁あって来てくれたんだと思う。それをどう活かすかは自分にかかっている。

 

だから「どういう境遇に生まれるかは運任せ」という意味で「親ガチャ」なる言葉が使われているのであれば、ちょっと違うと思ってしまう。

 

そもそも、もし本当に「親ガチャ」なるガチャが存在したら?

『親ガチャ 全5種のラインナップ!』

  • 裕福な親
  • 容姿端麗な親
  • 貧乏な親
  • 平凡な親
  • 毒親

みたいなガチャがあったとしたら、私は絶対そんなリスキーなガチャは回さない。ガチャは回さなければリスクはゼロなのだ!

人と人とが親子になる時にはそんなリスク回避はできない訳で、そういう意味でも親ガチャって表現は違うよな〜とモヤモヤしてしまう、そんなどーでもいい呟きでした。