ここのアメブロのある方のを読んでいて、とても思うことがありまして、煮え切らないので、そうだ、自分も自分のブログに書くことにしようと思い書くことにします。
持論です。
発達障害という言葉が広がりだして、15年ほどだそうです。
医療や自治体は、そこに向けて変わっていこうとしています。
でも、直接子どもたちに関わる教師(子どもを教える立場のプロ)の考えが古いままなことがあります。
わたしが拝見したブログというのは、塾講師を経て家庭教師をされている方だけど、『検査はしなくて良い。不安になってもいいことがない。幼少期は親の躾次第だ。それよりも勉強は努力だ。』というような持論を書かれていました。
両親は不安だから先生に相談したのに、これじゃあなんの解決にもなっていません。
そこで思うのは、こういう考えを持っている方が、この方だけでなく、けっこうな割合で学校・園含めた教育界にいるということです。
伸びる芽が潰されてはいないか?という不安があります。
特に、ベテランの先生に多いです。自分はたくさんの子ども達を見てきた、という自負のある方。
でも、そういう方は、見てきているだけで、落ちこぼれを落ちこぼれとして置いてきているのだと思うんです。
「授業聞かないなら廊下に立ってなさい!」「忘れ物したなら廊下に立ってなさい!」というのが当たり前の世代です。それがヨシとされていた世代。
でも、それが繰り返される子は、普通の子(普通というか、日本の普通教育に努力なく馴染む子)が出来ることが、頑張っても出来ない子なのかもしれません。
それは、育て方ではなくて、先天的なものです。
そういう子のお尻を叩いていては、自信喪失・引きこもり・うつなどの二次障害を生み出しかねません。
それがわかってきているのに、いまだ、根性論を唱える人がたくさんいます。努力が足りない、はたまた育て方が悪い。。と。そういう考え方は誤っています。
努力が足りないのは、一片しか見ていないからわからないだけであって、多大なる努力をされています。普通の日常を送ることに。
たまに、心中なんて事件もありますが、そういうことが頭によぎるほどに悩むこともあるでしょう。
検査はした方がいいです。それもなるべく早いうちに。
そして、苦手なことがわかっていた方がいいです。
全ての教育者がそこを理解して底上げをすることが理想です。なので一人で大勢を見られないなら、支援級や支援学校や支援教員を増やすしかありません。
情緒障害ならドラゴン桜2の健太くんのように、伸びる素質のある子もいます。学習障害なら、みんなと一緒に勉強することは苦痛しか生みません。個別が必要です。
子どもの心配をされる方には、相談者を選んでいただきたいなと思います。
子どもを預ける相手も、選べるといいなと思います。(習い事の先生は選べても、毎日会う担任の先生は選べませんね。)