強盗傷人の裁判員裁判。
被告人の妻の証人尋問。
被告人の妻は、裁判官から、証言台の前まで来るように言われた途端、それまではけろっとして時折笑みさえ浮かべていたのに、鼻をすすり、涙を浮かべ始めました、そして弁護人と検察官の質問には涙声で答えていました。
弁護人と検察官の質問が終わり、休廷になると、けろっとして、廊下にいた被告人の父と子供の前では、笑顔を見せていました。
そのあと、休廷が終わり、裁判官と裁判員が質問するために証言台の前に来るように言われて傍聴席から立ち上がった途端、また、鼻をすすり始め、時折涙声で証言していました。
尋問が終わり、閉廷後に法廷から出てきた被告人の妻は、またけろっとして、時折笑みを浮かべて帰っていきました。
その変わり様はまるで、どこかの劇場や撮影現場で悲しいシーンを演じている女優を見てるようでした。
【今日は何の日】
侃々諤々「今日はホワイトデー、2月14日のバレンタインデーにチョコレートを贈られた男性が、返礼のプレゼントをする日。バレンタインデーのチョコレートに対しキャンデーやマシュマロをお返しするのが一般的になっているんだって」(* ̄▽ ̄)ノ
かんちゃん「女性が男性にチョコレートを贈る習慣は日本独自のものなんだよ。1958(昭和33)年にメリーチョコレートカムパニーが行った新宿・伊勢丹でのチョコレートセールが始りであると言われてるんだよ。1年目は3日間で3枚、170円しか売れなかったのに、現在ではチョコレートの年間消費量の4分の1がこの日に消費されると言われるほどの国民的行事となった、そんなチョコレート会社の策略にまんまとハメられた日本人ってホントにバカだねって、バレンタインデーに言って、侃々諤々に怒られたけど、そんなチョコレート会社の策略にまんまとハメられたバカな日本人の若い世代の間でそれにお返しをしようという風潮が生まれた。バカな日本人の若い世代は義理堅かったんだね。その頃の風潮を受けたお菓子業界では昭和50年代に入ってから、個々に独自の日を定めて、マシュマロやクッキー、キャンデー等をお返しの贈り物として宣伝販売するようになった。この動きをキャンデーの販売促進に結びつけ、全国飴菓子工業協同組合(全飴協)関東地区部会がホワイトデーとして催事化した。そして1978(昭和53)年、全飴協の総会でキャンデーを贈る日として制定され、2年の準備期間を経て1980(昭和55)年に第1回のホワイトデーが開催されたんだって。それにしても、バレンタインデーでチョコレート会社の策略にまんまとハメられたバカな日本人は。また菓子業界の策略にまんまとハメられたんだよ、日本人ってホントにバカだね」(*・∀・*)ノ
侃々諤々「チョコレートもらえず、キャンデー等をあげる人がいないからって、そんなこと言うもんじゃありません」(# ̄З ̄)
かんちゃん「侃々諤々だってチョコレートもらえなかったし、キャンデーあげる人いないじゃん」(ノ_・。)
侃々諤々「またそれを言う」Ψ( ̄∇ ̄;)Ψ
かんちゃん「ちなみに、ホワイトデーを3月14日に定めたのは、269年2月14日、兵士の自由結婚禁止政策にそむいて結婚しようとした男女を救う為、バレンタイン司教が殉教し、その一箇月後の3月14日に、その2人は改めて二人の永遠の愛を誓い合ったと言われていることに由来するんだって」(´・ω・`)
侃々諤々「辛いこと思い出す、それ以上言うな」(/ー ̄;)