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Translator’s soliloquy

翻訳家の独り言

紳士淑女のスポーツ


いまどき「紳士のスポーツ」などというものが存在するのだろうか? 
これは言葉のアヤで、むろん淑女でも一向に構わない。

私がテニスを始めた当時は、硬式テニスがその代表格と見做されていた。何しろ、今上天皇がまだ紅顔可憐の皇太子でおわされた頃、後に美智子妃殿下となる方と出会うきっかけとなったスポーツである。プレーするにしても、それを観戦するにしても、他の競技とは一線を画す厳しいマナーが求められたものだ。

ウェアは白が原則で、シャツは必ず衿のついたものでなければならなかった。ナイスショットは敵味方の区別なく拍手で称え、拍手以外の応援はご法度。相手のミスで得点しても、声を上げることはおろか、拍手さえ許されない。ボールを渡すときはワンバウンドで胸元に。コートチェンジですれ違うときは相手を先に、譲られた方は会釈を返す、などなど、今となってはどうでもいいようなマナーが、まだウブで純真だった私の心に刷り込まれていった。

私は何も「紳士」になりたかったわけではなくて、それを言うならむしろ「淑女」に憧れて硬式庭球部の門を叩いた口だが、そこで教わった数々のマナーは、大人になってからの私を随分と助けてくれたように思う。考えてみればどれも、社会人としての一般常識に近いものだ。大方の人は、わざわざテニスを通じて学ぶことをせずとも、自然と身につけていく礼儀作法なのだろう。

今頃になって、「紳士」とはどういう存在か、ということをあらためて考えるようになった。とりわけ「ノブレス・オブリージュ」と呼ばれる生き方に惹かれる。高貴の者にはそれに相応しい義務と責任が伴うという意味だが、出自や社会的地位に限定する必要はない。精神的に高貴であれば足りる。尊厳を持って気高く生きる、というようなことだ。そこに自ずと義務の概念が生まれる。


私に「生き方」の手ほどきをしてくれたテニスに感謝だ。
たとえ懐古趣味とからかわれようとも、紳士のスポーツとしてのテニスを私は支持する。