今日、「えいごでコラージュ」のチラシを作成していて、

『みんなちがって、みんないい』という言葉が浮かんできました。


誰の言葉だっけ・・・とネットで検索したら、

金子みすゞさんの言葉だとわかりました。


そういえば、ずいぶん昔、

金子みすゞさんの詩集を買って読んだことがあることを思い出しました。

でもいつだったか、あの本はどこへやったか、思い出せません。

実家のロフトに眠っているのかもしれない。


金子みすゞさんの「言葉」は、シンプルで無駄がなく、まっすぐ人の心に入ってきます。


『こだまでしょうか、いいえ、だれでも』は

娘が幼稚園の頃から伝えていて

娘もそういう場面に遭遇した場合に、お友達に言ったり、心の中で思ってくれるそうです。

「バーカ」とか「入れてあーげない」とか、そういう言葉や行動は全部自分に帰ってくるんだよ、って。



☆☆☆


昨今の日本の教育の在り方に、物申したいなと思う時があります。

子どもたちはものすごいスピードで21世紀バージョンになっているのに、

日本の学校教育はそのスピードについていけてないようにも思えます。

学生が謝罪会見を開くほどのアメリカンフットボールの問題も

氷山の一角ではないのかな、と思います。


ただ、学校教育だけに任せてはいけません。

本来は、「家庭」で教えなければならないことがたくさんあるように思えます。

昨日、NHKの「あさイチ」で、

「家庭は組織・社会の縮図」というニュアンスの発言がありました。


☆☆☆


小学校1年生の私の娘は、「対 先生」に関してはとても不安症です。

先生に、「せんせー!!」と気軽に声をかけたり、質問することができません。

宿題の書き方を間違えたくらいで、激しく動揺します。

「先生からの叱責」を恐れています。


でも、「間違い」ってなんだろう。

「みんなと同じでなければいけない」ってなんだろう。

答えを求める質問なら

答えは「ひとつ」かもしれないけど、

書き方や導き方は人それぞれでもいいんじゃないかな。


☆☆☆


日本は、島国だからか、「組織」をとても大事にします。

そこに「個性」は必要ない。


一方、

私が暮らしていたニュージーランドは同じ島国ですが、「個」を尊重します。

「自分の意見」を主張できなければ、ビジネスの世界では到底通用しません。


組織が乱れないように、「出る杭は打たれる」し、「異」を許容できない風土。

たしかに、それがなければ日本はここまで発展していなかったかもしれない。

でも、もうこれ以上発展しようがない時代にきてしまったのだから、

人々がもっと寛容になって

組織がもっとさわやかになって

もう少し「生きやすい」、「個」を尊重する社会に変わっていくのではないかなと期待もしたりしています。


基盤となる土が腐っていては、人は根を張れないし、大きくなればなるほど倒れてしまいます。

社会を変えていけるのは、今「未来の大人」を育てている家庭からかもしれません。


『みんなちがって、みんないい』


☆☆☆


本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。


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