安室奈美恵さんの
Never Endの一節
 
生きてかなきゃいけない 涙の日でも
だけど強くなれない
ならなきゃいけない
 
 
生きている限り
生きなくてはいけない
どんなに悲しくても
どんなに苦しくても
 
生きるってつらいな
 
そう思って生きていた時期がありました。
ただ死を待って生きている時がありました。
そういうとき
物欲はまったくなくなります。
明日死ぬかもしれないから
新しい洋服なんて要らない。
先の予定も作らない。
 
でも、
会社で仕事を始めたことで
また洋服を買い始めました。
友だちと会う約束をして
美味しいご飯を食べたり。
 
そうやって
心とは裏腹に
ゆっくりと日常に戻って行きました。
 
私は気が狂うこともできず
自殺もできず
ただ悲しみと苦しみにとことん向き合うことで自分を生かしてきました。
あえて親元から離れて
思う存分一人で泣けるようにしていました。
 
泣いてばかりいました。
止めどなくあふれる涙をポロポロポロポロ流し続けるときや
布団に突っ伏して大きな声をあげて泣くときもありました。
そんな毎日を幾度となく繰り返し生きてきました。
 
でも一人で考え苦しみ抜く先に
何かが見えてくるとも信じている自分もいました。
 
 
生きるとは「息(いき)する」こと。
息が続くかぎり
肉体は生きています。
 
じゃあ魂は?
魂はどうだろう。
 
彼が亡くなってから
よく彼がそばにいることを教えてくれることがありました。
 
夜、一人寂しく布団に入っているときに漂ってきた彼が付けていた香水の匂い
 
仕事で暮らし始めた家のすぐそばに
私たちが少し前まで所有していた、NZではレアなソアラがあって
ズタボロな心のまま仕事する私の行き帰りに、いつもその場所にありました。
 
朝から体調がすごく悪くて
会社を早退しようと思っていたけど
昼過ぎに回復して夕方仕事を終えて家に帰ったら空き巣に入られていたこと。
早退していたら空き巣と鉢合わせしていたはず。
 
そのとき、NZを離れられない原因だった彼のたくさんの荷物を、ほとんど持っていかれたこと。
 
初めて一人で神戸にお墓参りに行ったとき
正確な場所を彼の家族に確認しないで駅に降り立って不安ばかりだったけど、
私が持っている洋服を来た人が前を歩いていて間違いないと思ったり、
 
初めてお参りする友達を連れて
お墓参りしたときは
帰りの送迎バスの中で
彼も好きでよく聞いてた二人だけの思い出の懐メロが2曲続けて流れてきたり
 
前を走る車のナンバーや
家の前にある電柱の識別番号、
最近では勤め先の銀行の暗証番号。
 
いろんなところで
彼が見ていてくれているかんじがしていました。
 
紫微斗数を勉強し始めて
いろいろな思想に興味を持って
中国に「理気二元論」という考え方があることを知りました。

宇宙万物は「理」から生まれた。
「気」が万物の形となる資料である。
 
つまり、
物(肉体)は気(魂)が入って初めて姿形になる。
 
今までなんとなくフワッとしていた
不思議な体験や
偶然の出来事の意味も
この思想に出会って
きちんと理解できるようになりました。
体得したんだと思います。
 
形(肉体)がなくなっても
気(魂)はどこかにある
と解釈できるようになりました。
 
娘が好きなアニメ「ヒミツのここたま」のオープニングで
「あのね、モノにはみんな魂があるって知ってる?
どんなモノでも大切につかっていると、見習い神様が生まれるの」
というセリフがあります。
 
まさにその通りだなと思うのです。
 
 
亡くなった恋人は、私を支える神様になっていたのかもしれません。
 
大切なものを形で失くしても
魂がなくなるわけではない。
記憶や気持ちを大事にしていれば
その魂は神様となって
永遠に感じ続けることができると思うのです。
 
物への執着は時に苦しみを生み出します。
 
捨てられないもの
離れられない土地
辞められない会社
別れられない人
 
執着することと大事にすることはきっと違うと思うのです。
 
思い出は永遠
 
つまり、
Never End

 

 

 

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