One more -仙台いちご再生支援プロジェクト- -8ページ目

2年8ヶ月。

いちご団地から真っ赤な震災前と変わらないきれいなイチゴたちが初出荷となりました。
待ちに待った・・・本当に待ちに待った風景です。
震災から2年8ヶ月目です。
各メディアで沢山取り上げていただきましたので以下転記させていただきます。

改めて、この日を目標に歩んできたOnemoreの活動。
ここで本当に終わりです。
スローペースにはなりますがブログは今後も、募金の使途の報告であったり、被災地の震災からの歩みを私なりに綴っていきたいと思ってます。
ホームページにつきましては、活動終了ということで、この報告をもって閉鎖させていただきます。
2年8ヶ月、皆様の多大なご支援に感謝致します。
※連絡用のメールアドレスにつきましてはまだ閉鎖の予定はありません。

建設が進むいちご団地。
周りは津波で被害を受けた田んぼ=宮城県亘理町で2013年8月7日撮影。
毎日新聞より



【東北最大産地のイチゴ復活、「団地」で初出荷】
東日本大震災の後に造られた宮城県亘理町の農業ハウス群「いちご団地」で6日、団地完成後初めて収穫されたイチゴが、出荷を迎えた。

同町は東北最大の産地だったが、震災で9割以上のイチゴ農家が被害に遭った。
農家の再スタートを支援するため、町が3地区に計約70ヘクタールの育苗棟や栽培ハウスを建設した。団地は9月に完成し、10月末には選果場もできあがり、出荷が可能になった。この日は、人気の「とちおとめ」約300キロ・グラムが出荷される。

 津波で夫を亡くし、一度は農業をやめようと思ったという女性(66)は、「色々な人の支援のおかげ。おいしいイチゴを届けることで恩返ししたい」と話した。

11月6日(水)読売新聞より

【<仙台いちご>震災後初の出荷 津波乗り越え220戸が栽培】
東北一のイチゴ産地として知られ、東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた宮城県亘理、山元両町で6日、栽培農家が震災後初となる収穫作業を始めた。「仙台いちご」の復活に向け、この日は約300キロを仙台市や北海道の市場向けに出荷する予定。
震災前、両町では約380戸が約96ヘクタールでイチゴを栽培していた。年間の出荷量は約3800トンで、ピーク時には約38億円の生産額を誇る東北一の産地だった。しかし、栽培面積の約95%が津波をかぶった。

 津波で夫賢治郎さん(当時69歳)と自宅を失い、仮設住宅で暮らす鈴木祝子(のりこ)さん(66)も収穫に参加。イチゴ農家として40年以上続けていた作業だけに、「生活に張りが出る」と笑みがこぼれた。

 両町は「イチゴの再生なくして町の発展はない」として、国の復興交付金などを活用し、7カ所に栽培ハウス計167棟の「いちご団地」を整備、共同で選果場も新設した。JAみやぎ亘理によると、今シーズンは両町で震災前の6割に当たる約220戸が栽培を再開、約2600トンの出荷を見込む。【豊田英夫、小川昌宏】

毎日新聞 11月6日(水)11時14分配信


【仙台いちご再出発 みやぎ亘理農協、復興へ今季初出荷】
みやぎ亘理農協(宮城県亘理町)の地域ブランド「仙台いちご」の今季初出荷が6日、同町の亘理山元いちご選果場であった。東北一の産地だった同町と南隣の山元町は東日本大震災の栽培施設や選果場が津波被害に遭った。復興事業の再整備が今秋でほぼ完了し、農家や関係者約600人が再出発を祝った。
 施設を自力再建するなどして営農を再開した9戸が「とちおとめ」を1000パック(約270キロ)を納入した。真っ赤なイチゴが詰まった箱を乗せたベルトコンベヤーが始動。機械で荷造りし、仙台と北海道の市場に運ばれた。
 式典で岩佐国男組合長は「(震災で)志半ばで逝った仲間のためにも、一丸となって努力を重ね前へ進む」と語った。生産者を代表して農協亘理いちご部会の斎藤隆一部会長が「イチゴ作りの技術と熱意は津波に流されていない」と決意を述べた。仙台いちごのイメージキャラクター「わたリーナ」も初披露された。
 震災では両町の農家約380人の95%が被災。国の復興交付金を活用したいちご団地の整備などで、今季は震災前の6割程度の211人が55ヘクタールで作付けを行う。山元町のいちご団地に参加する岩佐信一さん(60)は「うれしいこと。イチゴとともに感謝の心を届けたい」と話した。

11月7日(木)河北新報 より

【「仙台いちご」復活へ一歩 初出荷】
県南部の亘理町と山元町が主産地の「仙台いちご」が6日、初出荷された。

 東北一のイチゴ産地だった両町は、東日本大震災で壊滅的な打撃を受けた。栽培面積96ヘクタールの95%が津波に襲われ、両町にあった選果場も流失した。

 この日は、亘理町吉田のイチゴ生産団地内に完成した「亘理山元いちご選果場」で出荷式が開かれ、栽培農家をはじめ国や県、両町、JAの関係者ら約500人が出席。選果場では、9戸の農家から出荷された約300キロのイチゴが次々と梱包されていった。JAみやぎ亘理の岩佐国男組合長は「イチゴづくりの技術は流されていない。一歩一歩前に進む」と決意を新たにし、イチゴを出荷した花坂義男さん(62)は「涙が出る思い。早く震災が思い出話になるよう頑張りたい」と話していた。

11月7日(木) 産経新聞 より