うなぎの思い出。
先週の土用の丑の日から
連日登場している「鰻さん」ですが
うなぎのほね、を見ると思い出すことがあります。
高校三年生の冬(まだ卒業前)、
最初にお世話になることになった事務所の社長と共に
ご挨拶のために大阪の放送局へと新幹線で向かいました。
色んな方にお会いする中、
その時に「きみはいい眼をしてる。ラジオやんなさい。」
と、まだ、右も左も分からない私を採用してくださったのは
MBSの渡辺プロデューサー。
伝説のプロデューサー、おおなべさんです。
(その頃の話しをしたら
とてもじゃないけど、ここには書ききれません。)
高校生の私は、いっきに沢山の
はじめまして、の大人の人に会って
目をパチクリしていたはず。(笑)
ご挨拶まわりを終えて、社長の地元に、
長く修理に出していた車の様子を見てから帰りたい、と
修理場?か、駐車場に車を見に行った。
久々に青春時代の愛車と対面した社長は
「東京まで乗って帰りたいんやけど。。。」と。
「いいですね!乗って帰りましょう!」と私もノリノリでした。
今だったら、
『う~んっ じゃ、私は新幹線で!』とか、
『では、私は伊丹から、、』
と丁寧にご遠慮させていただくところだが、
さすが高校生、こわいもん知らず、疲れ知らずです。
大阪から東京まで、
沢山のアーティストのアルバムを
カセットテープで買い込んで聴きながら走ったあの日。
ボン・ジョヴィとかピストルズとか。
で、途中、浜松インターだったと思うのですが、
夕食をとりつつ、
社長とうなぎのほねをぱりぽり食べたのが
ものすごく印象に残ってまして。
夕食に何を食べたか、全く 記憶がないのに
うなぎのほねを食べた事は覚えているなんて、、。
笑っちゃうでしょ?
なので、うなぎのほねは青春の思い出の味?!?
なのです。
花もはじらう女子高生が、スイーツではなく
うなぎのほね。
いい感じやん。
おかげで、今現在、骨太なロック ツアー、やれてます。
感謝です。