湯島聖堂散策 その4 となります。
湯島聖堂 孔子像 です。
孔子銅像
孔子銅像建立ノ記
孔子像となります。
雨上がりの石畳の先には、孔子像が鎮座しております。
少しづつ近づいて参ります。
雨上がりのため、水溜りが出来ております…
夏の終わりの、雨上がりの湯島聖堂。
人気も少なくて、静かなたたずまいとなります。
然しながら、このあと海外からの若いレディが見えられましたので、英語の出来ない小生は速やかに、脱兎の如く退散しました。
『よく来たな小僧…』
若しくは、『よくぞ来られましたな…
して、お主の名は…』
とか何とか仰られるのであろうか?
前回の訪問時には、『ドラゴンクエスト』ばりに妄想しました…
前回のブログ記事です。
湯島聖堂散策 その5 アメーバブログ記事より
〘2023.4.28(金)〙
❝ 肩に新緑がかかって、何か良い雰囲気ですね。
『勇者よ。良く来たな。』といった雰囲気でしょうか?
またまた、『ドラゴンクエスト』風になりそうです。 ❞
特徴的な沓を履かれております…
お召になられている着物は、裾の柄が、何となくアイヌが着るような紋様に見えなくもないです…
長剣を差しております…
無礼を働いたら、一刀両断されそうな雰囲気です。
小生は、ジャッキー・チェンの少林寺拳法が好きで、映画をよく観たものですが、中国の武術は多岐に渡り色々と興味深いものがあります。
背面からの構図。
他にも色々と撮影しましたが、掲載枚数は15枚でやめて置きましょう…
『シェシェ(謝謝)』とか言ってそうにも思えて来ます。ただの妄想でございます。
鮮やかな紅葉葉🌿の陰に佇む孔子像となります。
孔子銅像建立ノ記です。
❝
孔子銅像建立ノ記
孔子ハ約二千五百年前ノ春秋時代ノ魯ノ國 (国) ノ人デアル 幼ニシテ父ヲ喪ヒ 下級官吏ヨリ身ヲ起シ 國王定公二用ヒラレ 太夫トシテ國政二參與 (参与) シテ 十數 (数) 年 大イニ治績ヲ擧 (挙) ゲタガ 後二意見ガ合ハズ退任シ 門弟ト共二諸國ヲ周遊シテ 容レラレズ 晩年故鄕 (郷) 二歸 (帰) リ 人ノ人タル所以 (ゆえん)ノ道ヲ説イテ 七十餘歳デ逝去シタ ソノ子孫ハ 治亂 (乱) 興亡ヲ經 (経) テモ相傳 (伝) ヘテ 直系七十七代孔德 (徳) 成二至ッテ 居テ ソノ孔子廟 ー 孔家歴代ノ墳墓ハ 山東省ノ曲阜二 今猶嚴 (厳然) トシテ 存シテ居ル 孔子ノ言行録デアル論語ハ 今日デモ廣ク 世界中二讀 (読) マレテヰル カクノ如キハ 他二比類ガナイ 今ヤ 洋ノ東西ヲ問ハズ 人類ガ擧 (挙) げて混迷二陷 (陥) ル時二 萬世ノ師表タル 孔子ノ忠恕ノ道ヲ傳 (伝) エ 仁義ノ德 (徳) ヲ明ラカニスルノハ 喫緊ノコトデアリ マタ 吾人丿責務デアル
コノ孔子ノ銅像ハ昭和四十九年臺北城中らいおんずくらぶ 周宏基會 (会) 長ガ湯島聖堂二參 (参) 拝シ 元禄以来三百年ノ由緒アル史跡二感銘ヲ受ケ 國立臺灣師範大學 關明徳教授二依嘱製作シ 寄贈シタモノデ 唐ノ呉道子ノ筆ト傳 (伝) エル孔子畫 (画) 像ヲ基調トシテ鑄 (鋳) 造シ 昭和五十年十一月三日 文化節二建立シタ
丈高十五尺 ※ 重量二噸(トン)ノ 世界最大ノ孔子像デアル 茲二聊カ建立ノ由来ヲ記シ世二傳 (伝) ヘル
昭和五十七年十月 先儒祭ノ日
財團 (団) 法人 斯文會
❞
※ 孔子銅像の高さは、15尺(454.5cm)
前回(昨年)の訪問時に書写 2023.4.28(金)
前回のブログ記事は、以下の通りです。
湯島聖堂散策 〘2024.8.22〙 その3
アメーバブログ記事より
湯島聖堂散策 〘2024.8.22〙 その3 アメーバブログ記事
今回はここまでです。