松本清張『戦い続けた男の素顔 宮部みゆきオリジナルセレクション』 その2 となります。
前回のブログ記事は、以下の通りです。
松本清張『戦い続けた男の素顔 宮部みゆきオリジナルセレクション』 その1
アメーバブログ記事より
松本清張『戦い続けた男の素顔 宮部みゆきオリジナルセレクション』 その1 アメーバブログ記事
目次となります。
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目次
一 . 月 9 (38)
二. 恩誼の紐 47 (40) ←☚今ココ
三. 入江の記憶 87 (24)
四. 夜が怕い 111 (38)
五. 田舎医師 149 (46)
六. 父系の指 195 (56)
七. 流れの中に 251 (20)
八. 暗 線 271 (40)
九. ひとり旅 311 (20)
十. 絵はがきの少女 333 (26)
十一. 河西電気出張所 359 (26)
十二. 泥炭地 385 (37)
巨匠が「私」を語るとき 宮部みゆき 422 (11)
解題 香山二三郎 433 (10)
以上となります。
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初出について(「解題」より)
一. 「別冊 文藝春秋」一九六七年六月号
二. 「オール讀物」一九七二年三月号
三. 「小説新潮」一九六七年十月号
四. 「文藝春秋」一九九一年二月号
五. 「婦人公論」一九六一年六月号
六. 「新潮」一九五五年九月号
七. 原題「流れ」
「小説中央公論 秋季号」一九六一年十月号
八. 「サンデー毎日」一九六三年一月六日号
九. 「別冊 文藝春秋」一九五四年七月号
十. 「サンデー毎日 特別号」一九五九年一月
十一. 「文藝春秋」一九七四年一月号
十二. 「文學界」一九八九年三月号
以上となります。
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「月」の感想ですが、流石は松本清張氏の作品だけあって、期待を裏切らないネガティブな作品に仕上がっております。
![グラサン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/021.png)
主人公の伊豆亨氏は、女子大の教師で文学博士。
これの何処が私小説なのか?
「意味がわからない」と呟きそうです…。
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![無気力](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/624.png)
主人公の境遇は、ドストエフスキー氏の小説『死の家の記録』の主人公とも少し似ていなくもないです…。
居場所のない疎外感でしょうか?
![グラサン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/021.png)
ドストエフスキー氏の小説関連ですと、次に読み進める「恩誼の紐」の冒頭には、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟創作ノート』米川正夫訳からの引用文が掲載されております。
エピグラフと言うようです…。
このエピグラフは、作家の大岡昇平氏が好んで用いていたようです。
![凝視](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/629.png)
また、ウィキペディアによりますと、大岡昇平氏は松本清張氏と論争もしたようですね〜
松本清張著『日本の黒い霧』にいちゃもんをつけたみたいです…。
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小生は、個人的には、松本清張氏に、もっと戦後日本の暗部について、深堀りしてほしかったぐらいなのですが、大岡昇平氏は、アメリカが好きなのであろうか?
まさかの闇堕ちはしていないと思いますが…。
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エピグラフ - Wikipedia
エピグラフ - Wikipedia ウェブサイトより引用して紹介して置きます。
❝ エピグラフ(epigraph)は、文書の巻頭に置かれる句、引用、詩などの短文のこと。題句、銘句、題辞。他に、石・彫刻・硬貨に刻む碑銘、碑文の意味もある。 ❞
以上となります。
余談ですが、小生はここ数年、戦記物を好んで読んでおりますので、松本清張氏の軍歴が気になるところです。
ウィキペディアウェブサイトに記載されていましたので、引用して紹介して置きます。
![にっこり](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/614.png)
松本清張 - Wikipedia ウェブサイトより
松本清張 - Wikipedia ウェブサイトより
❝ やがて教育召集のため、久留米の陸軍第56師団歩兵第148連隊に入隊、陸軍衛生二等兵として3ヶ月の軍務に服した。その後、1944年6月、臨時召集の令状が届いた。この時は、同じ久留米で第56師団から新編された第86師団歩兵第187連隊に入隊、直ちに歩兵第78連隊補充隊への転属を命じられるが、これはニューギニアへ補充のために送られる部隊であった。
補充隊は日本統治時代の朝鮮に渡り、7月4日に竜山に到着、同地に駐屯となった。その後、戦況の変化から同部隊のニューギニア行きは中止となったため、清張は中隊付きの衛生兵として医務室勤務となり、軍医の傍らでカルテを書いたり、薬品係に渡す薬剤の名前を書き入れたりする作業に従事した。12月に陸軍衛生一等兵となる。1945年3月、歩兵第292連隊第6中隊に編入され、4月には歩兵第429連隊に転属した。所属は変わっても衛生兵としての任務は変わらなかった。5月、第150師団軍医部勤務となり、全羅北道井邑に移り、6月に衛生上等兵に進級、終戦を同地で迎えた。 ❞
以上となります。
衛生兵として医務室勤務ということです。
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幸運にも激戦地のニューギニア島へ行く予定が中止となっております。
![グラサン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/021.png)
もし、ニューギニア島行きになりますと、1944年にはアメリカの潜水艦は日本海域に出没して、魚雷攻撃によって輸送船は尽く沈没しておりますから、
松本清張氏の戦後の活躍はなかった事になります。
(但し、作家の大岡昇平氏のように、運良くフィリピンのミンドロ島に上陸した例もありますので、運が良ければニューギニア島への上陸までは出来たかも知れないです…。)
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本書と関係ない話を色々と綴ってしまいました…。
![無気力](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/624.png)
![無気力](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/624.png)
![無気力](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/624.png)
今回はここまでです。
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