ドストエフスキー、工藤精一郎 訳 『死の家の記録』 (新潮社) その2 | ひろのブログ

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ブログの説明を入力します。

ドストエフスキー、工藤精一郎 訳 

『死の家の記録』 (新潮社) その2 となります。

にっこり



前回のブログ記事は、以下の通りです。


ドストエフスキー、工藤精一郎 訳

 『死の家の記録』 (新潮社) その1

アメーバブログ記事より



ドストエフスキー、工藤精一郎 訳 『死の家の記録』 (新潮社) その1 アメーバブログ記事 


目次です。

凝視


目次


第一部

序 章 5 (10)

一 死の家 15 (23) 

二 最初の印象 38 (32)

三 最初の印象 70 (26)

四 最初の印象 96 (30)

五 最初の一月 126 (26) ☚今ココ

六 最初の一月(つづき) 152 (26)

七 新しい知人たち。ペトロフ 178 (23)

八 命知らずな人々。ルーチカ 201 (13)

九 イサイ·フォミーチ。浴場。

バクルーシンの話 214 (30)

十 クリスマス 244 (31)

十一 芝 居 275 (34)



第二部

一 病 院 309 (26)

二 病 院(つづき) 335 (25)

三 病 院(つづき) 360 (32)

四 アク―リカの亭主

ーある囚人の話ー 392 (21)

五 夏の季節 413 (23)

六 監獄の動物たち 443 (23)

七 抗 議 466 (34)

八 仲 間 500 (26)

九 逃 亡 526 (25)

十 出 獄 551 (10)


解説 工藤精一郎 561 (6)

(1973年5月)


以上となります。

凝視


現在、140頁まで読み進めております。

にっこり


小生、この書籍は大変読みやすく感じております。

ドストエフスキー自身の文体が読み易いのか?

それとも、訳者の工藤精一郎氏が読み易い文体なのであろうか?

大あくび

それにしては、なかなか読み進んでいないのは何故か?

真顔驚き


工藤精一郎氏のプロフィールを調べて見ますと、あまり詳しくはないですね〜

凝視


福島県生れ。ハルビン学院卒。

とあります。

1922年生れですので、余程病弱でない限りは徴兵制若しくは、召集令状で戦地に赴いた体験がありそうですが、著作物を見る限りは不明となります。

この点は謎、トップ・シークレットです…。

驚き無気力無気力無気力


工藤精一郎氏の著作物は、翻訳がメインの為、数少ない著作物を参考に掲載して置きます。

にっこり



ロシア文学裏ばなし : 虫眼鏡で見た作家の周辺

 新書マップ ウェブサイトより






ロシア文学裏ばなし : 虫眼鏡で見た作家の周辺 - 新書マップ 


ロシア文学裏ばなし : 虫眼鏡で見た作家の周辺 

新書マップ ウェブサイトより、引用して紹介します。

にっこり


❝ 目次

プーシキンの決闘と死—同時代人たちの証言

プーシキン未亡人のその後—ヴャゼムスキー公爵の狂気

失われた文学遺産—ツルゲーネフの日記と告白小説

ポジェドームカ通り界隈—ドストエフスキーの生家

ドストエフスキーは変節者か—1849年のロシア社会主義者たち

削られたソーニャ—『罪と罰』の受難

『戦争と平和』余談—2冊の珍本について

トルストイと画家パステルナーク—『復活』発表のエピソード

モスクワのどん底—ヒートロフカとその住人たち

ゴーリキイとパルヴス—『どん底』公演余談 ❞


ドストエフスキーに関する項目が、3つほどあります。

以下の通りです。

凝視


ポジェドームカ通り界隈

—ドストエフスキーの生家

ドストエフスキーは変節者か

—1849年のロシア社会主義者たち

削られたソーニャ

—『罪と罰』の受難


中央公論新社 中公新書の発行ですが、

多分書店には置かれていないと推定されますので、

ブック・オフで偶然見つけたら、取り敢えず購入でしょうか?

凝視


工藤精一郎氏が卒業した、ハルビン学院についてです。


ハルピン学院 (旧制専門学校) 

Wikipedia ウェブサイトより



ハルピン学院 (旧制専門学校) - Wikipedia 


ハルピン学院 (旧制専門学校) 

Wikipedia ウェブサイトより、引用して紹介して置きます。

凝視


❝ 設立当初は外務省所管の旧制専門学校であったが、1940年以後は満洲国所管の国立大学となった。日露間の貿易を担う人材養成を標榜した。 ❞


以上となります。


工藤精一郎氏は、満洲国に在住して、ハルビン学院を卒業したと言う事ですね。

日中戦争は兎も角、ソ連の参戦やシベリア抑留の体験は上手くすり抜けて帰国したのでしょうか?

作家の司馬遼太郎氏は、戦車小隊の隊長だったと思いますが、幸運にも終戦前には帰国出来たようですし、畑正憲氏(ムツゴロウさん)は、終戦の1年前には帰国したみたいです。

小説家の新田次郎氏は、大変な苦労をして敗戦後の満洲国から帰国したようです。

『望郷』という作品があります。

小生は高校生の時に読んで、満洲国からの帰国が大変な状況だったと知りました。

安部公房氏も、満洲国からの脱出を作品に残しておりますね。

『けものたちは故郷を目指す』でしょうか?


参考に…。


安部公房 『けものたちは故郷をめざす』 

新潮社 ウェブサイトより






安部公房 『けものたちは故郷をめざす』 | 新潮社 




司馬遼太郎氏の軍歴について



司馬遼太郎 

Wikipedia ウェブサイトより


司馬遼太郎 - Wikipedia 



司馬遼太郎  

Wikipedia ウェブサイトより、引用して紹介します。


❝ …卒業後、満州国牡丹江に展開していた久留米戦車第一連隊第三中隊第五小隊に小隊長として配属される。翌1945年に本土決戦のため、新潟県を経て栃木県佐野市に移り、ここで陸軍少尉として終戦を迎えた。 ❞



工藤精一郎氏も、上手い具合に帰国したのでしょう。

深堀りはしない事とします。

真顔驚き



今回はここまでです。

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