戦争という言葉は、もう使用しないでおきましょう。殺し合いとよびましょう。そう語ったのは、たしか美輪 明宏さんだったと思う。たしかにそうだと思う。そして、もう一歩踏み込んで言うなら、戦争とは「殺し合いをさせられること」だ。
大量破壊兵器があるということで強引に始められたイラク戦争。
しかし、そんなものはどこにもなかった。
そして、この戦争で巨額の冨を得た一握りの金持ち。
彼らのために、多くの血が流された…
その戦争のまっただ中で僕は「森の中の海で」を描いていた。
その作品の中で、いくつか戦いになるかと思わせる場面がでてくる。普通なら迫力一杯に戦わせ、勝ったものが負けたものをねじふせていくのだろうが、そういう展開にはしたくなかったし、戦うことではない解決法を模索した。それは、簡単なことではなかった。もがきながら何度も崩壊しながらも手探りで、戦い以外の解決法を構築していった。
ここにアップしたのは、自著「マンガで読む偉人伝ダライ・ラマ14世」の一場面。
ポンポとダライ・ラマ14世とのあいだに、このような会話があったかどうかは、知らない。
でも、「森の中の海で」からの僕自身の表現者としての流れは、
この会話をごく自然に生みだしていく。
戦争を描くということは、どういうことなのだろう。
それは、けっして特別なことではないのだと想う。
特別なことにしては、いけないのだと想う。