若い頃出逢ったある少年向けマンガ雑誌の編集長が言った。「僕の夢は、巨人の星のようなヒット作をうみだすこと。あの作品のように日本中に、担当する作品の主題歌を巻き起こしたい」。
巨人の星という作品は、息子に異常なトレーニングを強引にやらせ、言うことをきかなければ叩き、ちゃぶ台返しをやる虐待マンガだと僕は想っている。僕の父もそうだったが、あの頃自分のこどもを叩き、ちゃぶ台返しをする父親は多かった。ちゃぶ台返しで、部屋中に飛び散った料理を何も言わず黙々と集めていた母の姿が忘れられない。その父は、銀行員だったが、務める銀行の行員たちを船の中に宿泊させ、お互いの頬をたたきあうようなある種の高揚感を抱かせるマインドコントロール的研修をさせられていた。父たちは、それをすごいことだと受け入れていた。巨人の星は、そんな異常な日本をあおっていた。
その編集長の巨人の星への夢を聞きながら、若い僕は、強い拒否感の中にいた。その頃、手塚治先生を平気で呼び捨てにする編集者さんにもたくさん出逢った。巨人の星の原作者がその頃の漫画界を牛耳り、おおきな権力をもちつつあった。有名な女優さんを日本刀で脅しながらレイプしたというウワサまで流れた。
子どもたちにどんなマンガを届けたいのか、どんなマンガを描きたいのか、はっきりしたものをまだ持てていなかった僕は、けっきょく人形劇団に入りながらマンガ家への遠回りの道を選ぶことになる。表現者としての勉強と体験をそこでするために。
数年後、出版社ともマンガ家とも何の繋がりもないまま、いきなり原稿の持ち込みを開始していくのだが、よくここまで来れたものだと思う。
なにより、あしき家父長制度の見本のような巨人の星とは、まったく違う僕のマンガの良き理解者になってくれた父に感謝。父とは一戦を交えたが、よき父子の関係を構築しなおせたものだと今も思っている。
そして、4コママンガ雑誌はレデイスコミック化し、マンガ雑誌という発表場所をうしなった僕は、大阪から山奥へと移住する。
描くべきものを求めてー。狙い通り、ここで新しいテーマの作品たちがうまれていった。
いくつかあげてみる↓
森の中の海で
https://ameblo.jp/misato695/entry-12513835367.html?frm=theme
ワンだふるな日々
https://ameblo.jp/misato695/entry-12513820751.html?frm=theme
児童向け小説「山小屋のタオ」(毎日新聞 文と絵の両方を担当)
https://ameblo.jp/misato695/entry-12513829087.html?frm=theme
第28回日本動物児童文学賞優秀賞受賞児童向け小説「霧の波」(文と絵の両方を担当)
https://ameblo.jp/misato695/entry-12513839168.html?frm=theme
まだまだ飛んで行きます。