「セクシー田中さん」の著者の自殺に心が痛む。
僕は原作のそのコミックを読んでいないし、ドラマも観ていないのでなにもいえないのだが、マンガ家の自著への愛情の深さは痛いほどよく分かる。
韓国のマンガ原作のドラマ化の場合は、原作が大きくかえられることがあり、原作者もそれに同意するという契約が結ばれている。そして韓国のテレビドラマの実力のある専門家たちによって大胆な脚色がされ、おもしろいドラマ作品を大量にうみだしている。韓国のマンガは縦に展開していくwebマンガで、日本のような出版の世界とは、また事情が違うのだが…。今回の「セクシー田中さん」は原作どおりのドラマ化ということで著者との間に契約がされていたという。原作どおりと言えば、誤解をまねきそうだが、原作への愛情(尊重)をもったドラマ化というべきなのかもしれないが…。
日本漫画家協会が、この事件後、契約で悩むマンガ家に、相談してきて欲しいと呼びかけた。それは当然のことであり、日本漫画家協会がそういう意味での強い存在であって欲しいと思う。でも、僕が自著「マンガで読む偉人伝ダライ・ラマ14世」の契約上の問題で苦しめられたとき、日本漫画家協会に相談したが、担当の人には大きく失望させられた経験がある。フリーのプロヂューサーS氏が、僕の描いたセリフやナレーションをかってに変えていたことが校正の段階で発覚し、校正は僕のシナリオ通りに戻す作業を強いられたし、ラスト近くのストーリーの入れ替えも元に戻した。なにより理解できなかったのは、出版契約から僕をはずそうとする彼の動き。阻止するのに難儀した。けっきょく、なんとかあるべき姿でマガジンハウスから出版されはしたが、その後の彼の理解できない行為によって、マガジンハウスも僕も、この自著を宣伝も増刷も出来ないという被害をこうむることになる。
そして、海外の出版社からのこの自著の出版は、それぞれの言語でそれぞれの国から出版されているが、僕は契約からはずされているし、セリフやナレーションや展開は改ざんされたままだ。印刷も最悪の状態。
日本漫画家協会に相談せざるをえなくなって相談したのだが、結果として、ますます僕は精神的においこまれてしまう。かなりおかしくなっているのが自分でもわかった。
話はそれたが、今回のマンガ家の自死という悲劇を考える場合、どうしてもドラマも含めた日本のテレビ番組の無責任さにたどりつく。今のテレビ界でのプロヂューサーという存在がとわれているのだろう。
マンガ家にとって、作品は我が子。愛情をこめて育てあげた我が子を虐待されたくはないのだ。

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