* ばら色の京都 あま色の東京 *
『暮しの手帖』で連載中の沢田康彦さんのコラムが
本になりました。
澤田さんが編集長を務める『暮しの手帖』ではなく
彼自身のご本をご紹介するにあたって
少し澤田さんについて書こうと思います。
私のブログにもたまたま登場する、
この澤田さんというほんわかとした
童顔で長身のおじさんは
私にとってなんなのかというと
先輩とかお世話になった出版社の人、
というよりも
彼の言葉をお借りすれば
「旧い友人」というのがしっくりきます。
そしてこの本の帯にもでかでかと
「夫をよろしくお願いします」
と記載されているので言ってしまうけれど
彼の奥様は
有名な美人女優「本上まなみ」さん。
まだ学生だった私が
最初に雑誌に起用された時の理由が
絵がいいね、とかではなく
「君面白いね」だったくらいの
緩い価値基準の楽しい大手出版社に
澤田さんは30年間勤めました。
愛着たっぷりの会社だったけど
ある日、まなみさんが指摘します。
「最近のオヤビン(澤田さん)ため息ばかりついてる。」
気づかないうちに色々な事柄が
澤田さんの心と身体を蝕んでいたのです。
「辞めていいかな?」とつぶやくと
まなみさんは「いいんじゃない」ってあっさり。
癒し系として有名な彼女ですが
実はさばさばとしたアネゴ肌。
そうやって人生の航路が変わった澤田さん。
さあ、しばらくふらふら遊ぶぞ!…と喜んだのも
つかの間、
働き者の奥さんのかわりに
京都にある自宅での
家事と育児の担当がまわってきました。
幼稚園の娘さんのお弁当作りにも
毎日てんやわんや。
50代にして突然、主夫になった澤田さん。
探究心旺盛な彼のこと、
愛するご家族のために
どのくらい本気で取り組んでいたか
想像に難くありません。
そんな主夫時代に、
私達は
メールでしょっちゅうお話していました。
他愛もないことから
本のこと映画のこと社会のこと
ご家族のことなど色々。
彼は博識でお話も面白いのです。
面白かったけど、
家事の合間にこんな得体のしれない絵描きなんかと
お喋りしてていいんだろうか、この人は?
という想いがいつも私にはありました。
こんな面白い人なのに
なんだか勿体なくね?と思っていました。
そんな折に突然、彼に
『暮しの手帖』編集長就任の話がきたのです。
それを了承するとしたら
子供達を残して東京に単身赴任しなければなりません。
きっとまなみさんは困るに違いない…
おそるおそる伝えると
彼女は「ぜんぜん大丈夫」と答えたといいます。
「本当に?」
「大丈夫」とふたたび即答するまなみさん。
それはそれで微妙な気持ちになったそうですが(笑)
とにかく、澤田さんは58歳にして
また新たな船に乗ることになったのです。
普段テンションの低い寡黙な私の相方D君が
珍しく感情的に言います。
「まなみさんと結婚したのに単身赴任…だ…なんて…!」
でも私は彼の決断が
たぶん彼の友人の100番目くらいには嬉しかったのです。
だってこんなに彼にぴったりのお仕事ってあるかしら。
『暮しの手帖』は広告を70年間のせずに刊行されてきた
風変わりな雑誌。
スポンサーへの忖度など無用な本。
彼が地位とか名声とか報酬のために動く人ではないということは
なんの得にもならない私との交流で明らか。
リサとガスパールの小さなお弁当箱に
毎朝せっせとご飯を詰めていた日々。
幼稚園の園庭でカラス番をしながら
見上げた空が美しかったこと。
王手出版社の社員だったころには見えなかった景色。
そういう小さな宝物の積み重ね。
心を打つ話や美味しいものは
独り占めしないで人と分かち合うことに美徳を感じ、
「美味しい」と言われれば「せやろ?」とにんまりする人。
歳をとって出来ないことが増えたことさえ
ドヤ顔で味方につける人。
色んな事柄がすべて『暮しの手帖』に繋がっている。
きっと今の澤田さんだから出来ることなんだ。
用意された編集長の机の後ろの壁に鎮座する
伝説の編集長、花森安治さんのポートレートに
いつも怒られているような気がしているそうだけれど、
そんなことないよ。
変な奴(褒め言葉)が来たなあって笑ってるよ、きっと。
兎にも角にも
澤田さんには伝えたいことがいっぱいあって
それを受け取りたいって思う人がいっぱいいる。
それって素敵なことじゃない?
ノロケたりぼやいたり
ふんわりとカッコよかったり。
愛情も経験もバームクーヘンみたいに
素敵な層になっていくような
これはそんなあまい色の本。
ばら色の京都 あま色の東京 『暮しの手帖』
新編集長、大いにあわてる
機会があったら
皆さんも読んでみてくださいね♪
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彼からの年賀状には
万年筆でひとこと、
「また遊んでね」。
うんうん、遊ぼう。
友人が作ったボードゲームで
丁度面白いのがあるんだよ。
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