【自ネタ】疑う力 | 愛知県岡崎市カラーセラピー&パワーストーンサロンマーブルの木

愛知県岡崎市カラーセラピー&パワーストーンサロンマーブルの木

マーブルの木は、『ママの笑顔が子どもの笑顔』をコンセプトにママさんのお悩み解決のお手伝いをしております。CAMESというカラーセラピーをしています。また、パワーストーンを使ったアクセサリー講座も開催しています


4月から

セラピスト活動の傍ら

支援学校でパートをしたり

ALSの方のヘルパーをしています



どれが本業かというより

副業・兼業・多業をよしとする

時代になったのでとりあえず

やりたいことをやっています




私は何かを深く成し遂げて

いくより広く浅く知識や経験を

積み重ねていきたいから

こんな働き方をしているんだと

改めて思いました




新しい世界(職場・環境)に

入ってみると・・・

『それってどうなの?』と

気になる支援や関わりを

見てしまい私の心が辛く

なっていく




例えば

寝たきりのALSの方が

ベットで排泄中に訪問診察の

医師や看護師がやって来て

排泄を終わるのを待つこと

なくさっさとバイタルを測り、

パソコンを打ちながら問診を

し処方箋を出して帰ってゆく



たったこれだけの診察

正味10分 

だったら排泄が終わるまで

どうして待てないのか?



ちなみに診察時間は1時間も

とってあるのに10分足らず 

で帰っていかれる医師達に

私が何か言える立場では

ないので挨拶だけしておく



排泄の途中で

検温されている気分って

どんな感じ❓



私はイヤだな



なんか緊張してしまいそう




例えば

大人社会や世間では

『さん付け』が当たり前

なのに学校社会では未だに

呼び捨て

知的障害児といえど

『生あるもの』には『心』が

あるわけでどんな接し方を

するか?って大切だと思う



呼び捨ては信頼関係が

あるような友達ならいいけれど

上司や指導者から

呼び捨てって

どんな感じ?



私はイヤだな


なんか萎縮してしまいそう



私から見ていると

それって不適切な支援じゃないのかな?

って思えてしまうことが

多々ありそんな場面に遭遇する




福祉や学校の世界は

患者と医師

児童・生徒と教師

という上下関係が生じて

しまうから立場が弱い方は

何も言えなくなる

『言いたいけど言えない』

のが本音なんだろうな




私は昔なら若気の至りなのか

無駄に正義感が強くて

正面衝突していたけれど




年を重ね 

経験を重ね

演技する術を得た



人に対して

疑問に思うことや

不信を感じること

疑ってみる感覚

自分を守る防衛力・直感



でもそんな  

疑う力って

見失わない方がいいのかと

思ってしまった




そう思うと

苦い経験も悔しい経験も

全て自分の力となっている



失敗から学んだこと

『それってどうなの?』って

疑ってみる気持ち

改めて大事だと思えたり



新人だから感じること

未経験だから見えること

無知だから思うこと

ってあるんだよね



でも

この疑うことって

仕事に限らないはず



日常の中やSNS上でも

そんな場面に遭遇して

『エッ?それってどうなの?』と

感じる時がある



例えば

投資の話しやMLM

よく誘われたりするけど



私はできないな


そんな時 

疑ってみる力って大切なのかも

知れない



もしかしたら

そんな時って

自己防衛してくれているのかもね