(桃蹊堂 窯場の壁面に廃物利用された土管=岡山県備前市伊部)
千年以上にわたり焼き物を作り続けてきた岡山県備前市伊部(いんべ)では、あちらこちらで窯業地ならではの光景を目にします。
そこで「千年の窯業地 備前焼 伊部(いんべ)の里」と題し、備前焼の里の様子をシリーズでお届けします。
初回は備前土管を取り上げます。
(桃蹊堂 窯場の壁面に廃物利用された土管)
窯場の壁面に廃物利用された土管。
ストリートビューでもご覧になれます。
(塀に転用された土管)
こちらは民家の塀に利用された土管。
ストリートビューでご覧になれます。
(土留めに転用された土管)
民家の敷地の土留めに利用された土管。
(道端に放置された土管)
道端に置かれた土管。
土管は口の周りの溝を櫛目ハケで彫ります。
須恵器をルーツとする備前焼は、釉薬を用いない無釉焼締を頑ななまでに守り続け現在に至りますが、その道のりは決して平坦なものではなく、明治に入ると岡山藩の庇護がなくなったことで極度に低迷しましたが、その救世主となったのが土管だったそうです。
土管は鉄道の線路を敷設する際に、従来からあった水路が線路で分断されるのを防がねばならないため、水路を確保するために線路の下に埋設して用いられたとのこと。
昔から「投げても割れぬ」と言われる備前焼は第一に堅牢であることを特徴とし、蒸気機関車の重みにも耐えることから生産が拡大したということです。
土管は現在は生産されていませんが、割れにくいとされる備前焼の土管は、壁や土留めなどに廃物利用され、伊部の所々でその光景を目にします。
最後に、土管とよく似ているために見間違われやすい甕(かめ)についてご紹介します。
(道路の土留めに利用された甕)
一見すると土管に見えますが、これらは江戸時代に作られたであろう甕とのこと。
土管と同じ円筒形ですので、とてもよく似ています。
甕と土管の見分け方ですが、甕は口縁部の溝がヘラで彫られ、土管は櫛目ハケで彫られていますので、溝の形状の違いで判別することができます。
(備前焼甕の窯印)
菱形に漢数字「一」の窯印。
(備前焼甕の窯印)
円に横二本線の窯印。
(備前焼甕の窯印)
漢字で「力一」でしょうか。
甕の場所はこちら。
以上、伊部散策にお役立て頂けましたら幸いです。
(写真)岡山県備前市伊部 2023年10月14日、12月11日、12月13日撮影
(参考資料)「金重利陶苑の歴史」