PASD=post Ama-chan Stress Disorder (あまちゃん後ストレス障害)


いよいよ、あと3日であまちゃんが終わる。終わった後のPASDの症状の中(それでも杏さんは大好きな女優なので期待している!)、総括しようと思っていたのだが、もうダメだ。9月25日の回で号泣してしまったので、取りあえず今の思いを総括する。


半沢とかあまちゃんとか流行っているものは興味ないとか言う輩は、流行っているものにすぐ飛びつく輩と同じ位ダサいことを自覚した上で読まなくてよい。来世では自分の眼で決めるようにした方がいいな(笑)。


で、先週からずっと気になっていたこと。それは、薬師丸(鈴鹿ひろみ)は、果たして歌声を披露するのか?ということだった。ご承知の通り、薬師丸は女優であると同時にかなり有能な歌手でもある。キョンキョンがCDまで出している同じ歌を披露するのはどうなんだろう?と思っていた。プロとしては・・・やはり比較されるのは嫌だろうから、きっと出さないと思っていたんだよね。劇中では音痴という設定で、歌のシーンは無音という演出(文字通り、シーンだ あは)、これはやはり、歌はないのかな・・・と。それでも中学から生粋の薬師丸ファン(同い年で、初めて写真集買った人?)としては彼女の「潮騒のメモリー」を聞きたい!という欲求はあった。でも今日の放送で、やはり影武者が用意されていたことを知り、『やはりダメか・・・』と思ったけど、太巻さんの電池ネタあり、有村架純さんのかあいい走りあり、キョンキョンの電池入ってない歌ありの後、薬師丸ひろ子さんは歌うのでした。あそこらへんの怒涛の演出はすげえな。ドラマは脚本や演技も大事だけど、演出も大事だと再確認(半沢も演出の勝利だしょ)。


ここで閑話休題。太巻のあの電池ネタは何か?ずっと気になっていた。マトリクスの弾丸除けか!とも思ったけど、今回はよけてないしな~と思って検索したら、木更津キャッツアイのオジーネタでした。オジーがオジーになった、あの瞬間か! なるほど。つか、クドカン語るなら、木更津、池袋、タイガー&ドラゴン、うぬぼれくらいは見てこいや~(笑)。


有村架純さんは、SPECの竜雷太さんの愛人役から大好きですが、今クールのあまちゃんとスターマンでさらに株を上げたね。変顔は能年以上かも(笑)。


で、薬師丸バージョン。イントロで違和感。おいおい、調が違うじゃ~ん。基本的に調性には拘りあるので、調が変わると気持ち悪い人なのですが(だからカラオケの店長じゃなくて転調が嫌い)、歌が始まると聞き惚れた。小泉バージョンとは違い、後ノリのしっとりバージョン。いいじゃん、いいじゃん!つか、ナレーションいらねえええええ(笑)。


で、ここらへんから号泣。もうこれが最終回でもいいっ!と思いつつ、これが水曜日でだいじぶ?クドカン?と余計な心配をしちまったぜ。


で、少し冷静になってからの、ちょっと音楽的考察も含めての感想。原曲はE♭、薬師丸版はF。つまり全音上げてある。この理由だけど、単純に薬師丸の声域を考えてのことかと思う。最初は弦が入ってるからかな~とも思ったけど、管と違って弦は別に調によって弾きにくいってこともないだろうし。原曲だと低くて歌いにくいとの声(合唱部後輩)もあり、これが正解かなと(飛び越えて~♪のとこは高いと思うけど 汗)。


あと、E♭(これは♭3つの調)からF(これは♭1つの調)になって『フラフラ』(♭2つね)がとれたという解釈(これも別の合唱部の後輩)。これは薬師丸が散々言ってた『移ろいやすい音程』からのひねりだけど、座布団3枚級(笑)。つか、これ、クドカンに伝えてやれよ、感動すると思うぜ。


で、おいらの解釈は、歌詞の中に出てくる『Aマイナーのアルペジオ』。Aマイナーがダイアトニックスケールの中にあるのはFの方なんだよね。で、薬師丸版のFバージョンで歌詞も完結する!どうだっ!(笑)


ふう、こんな時間にこんなに酔っぱらってこんなに書いてていいのかっ。でもPASDの症状を軽くするためにとりあえずの総括してみたぜ、あきちゃん(虹ヶ浜のマーメイド 爆)、読んでねっ!

いよいよ小説本体について。


もちろんネタバレをするような無粋な真似はしないので、未読の方もご安心してお読みください。


村上春樹の魅力は何か? 洒落た文体、洒落た男女、洒落た音楽に洒落た料理などなど。でもそれは表層的な話でしかない。私が考える彼の一番の魅力は、現実と非現実のボーダレスだと思うのだ。


世の中にファンタジーはある。世の中にリアルな話もごまんとある。しかし、ファンタジーとリアリティーがボーダレスに混在している話はハルキ以外にないのではないか。パスタを茹でてたら猫が来て、そいつに導かれるまま細い路地を抜けると、そこの世界は・・・なんて、不思議の国のアリスよろしく、リアリティーがファンタジーになり、またリアルになる、ボーダレスに。やがて境界線が薄れ、リアルかどうかなんてどうでもよくなる。登場人物が入りこむ世界から、読者もまた抜け出せなくなるのだ。


そしてもう一つ、読み進むうちに「人生の真理」について考えさせられることが多々ある。時に小説から離れて、自分のことに当てはめて色々と思索する。これも彼の作品の魅力の一つといえまいか。


そういった以上のような私が考える彼の魅力という意味では、この「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」はまったき村上春樹の作品であり、お勧めできる。


ただ、やや短いモチーフを無理矢理引き延ばしたきらいはある。冗長とまでは言わないが。


そして、これが一番大事なことだが、今回の作品はリアリティーとファンタジーだと圧倒的にリアル寄りである。少しミステリーとも言ってよい。投げられた伏線がきちんと全部回収されるかというと、そういう訳ではない(勿論鼻から期待していないが)。


ただちょっと肩すかしの部分もあるので、続編というかエピローグが欲しい気もする。


リストが巡礼の年第二年に補遺「ヴェネツィアとナポリ」を出したように、補遺を無料贈呈とか、ないか(笑)。

次に気になったのは果たして「巡礼の年」からどの曲がフィーチャーされるのか?ということだった。


まず頭に浮かんだのは一番の人気曲「エステ荘の噴水」だ。リストの晩年の曲で、流れるようなアルペジオが描き出す水の流れは、ロマン派の枠を超え、フランス印象派に多大な影響を与え、ラヴェルの「水の戯れ」やドビュッシーの「水の反映」が生み出されたことはあまりにも有名だ。しかし、この曲は明るめの曲なので、「色彩をもたない・・・」という少しネガティブなイメージには合わない気もした。


その他に浮かんだのは、第一年スイスのオーベルマンの谷、第二年イタリアのペトラルカのソネット3曲やダンテを読んで(ソナタ風幻想曲)など、単独でも取り上げられることの多い曲たちだ。でも決め手を欠いたまま、発売日を迎え本書を読むことになる。


結論はスイスの第8曲、Le mal du pays(ル・マル・デュ・ペイ と、本書ではカタカナで登場する)であった。これは意外というか、聴きこんでいない私には印象に残っていない曲であった。本書と平行して調べてみると、一般的には「郷愁」と訳されるこの曲は、小品ながら同じテーマを転調しながら繰り返し、盛り上がりそうで盛り上がりきらないリストお得意の手法のメロディー(私は「寸止め」と呼んでいる)が素敵な、聴けば聴くほどいい曲であった。


しかもこれは大好きなオーベルマンの谷とも関係があり・・・。オーベルマンというのは19世紀前半にヨーロッパに自殺熱(!)を引き起こした小説のタイトルなのだが、その主人公が「自分の唯一の死に場所こそアルプスである」とパリから友人に書き綴った望郷の念の込められた手紙がモチーフとなっている。つまり単なる郷愁・望郷よりも、もっと切実な、死を意識した想いなのだ。


このことを知って、さらにこの曲を聴いて「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読むとかなり印象が変わると思うし、より深く登場人物に感情移入できると思う。未読の方は是非CDを購入してから読まれることを強くお勧めする。


本書の発売によって、急遽国内盤のラザール・ベルマンのCDが再発されることが決定し、輸入盤も品切れ状態が続いたようだ。なんで見越して予め再発しておかないの?と思ったけど、そうだ、小説が超秘密主義だったんだ(笑)。レコード会社も嬉しい悲鳴だろうな。


ピアニストはベルマンがいいと思う。本書では対比する形でアルフレッド・ブレンデルも少し登場するが、こちらは興味を持った方用かな。個人的には英国リスト協会会長のレスリー・ハワードのもいいと思う。


ちなみにベルマンのは、単体で購入するよりリストイヤーに発売されたDGのリスト・コレクション(輸入盤で34枚組!で7000円ほど 同じくらいの値段で16枚組のものもあるので注意)の方がお得感があるかと。


で、まだ小説本体には届かず・・・つづく♪(ブログのタイトルも巡礼の年 第二年なのだ)