天気:晴れ
メンバー:アッキー、エリチン、奥様
ウエスティン都ホテル京都10:30~ウエスティン都ホテル京都16:30
春らしい陽気な日曜日、
かねてより家族にアピールしていた大文字山に行ってきました。ウエスティン都ホテルの駐車場に停めて出発。いやー雅ですな。3年前に登ってまた行きたいと思っていた大文字山です。
さて、京都の伝統行事として 葵祭、祇園祭、時代祭 とともに京都四大行事の一つに挙げられる「五山の送り火」があります。
お盆にニュース等で放映される「大」の文字が有名ですが、文字通り五山(大文字山、西山&東山、船山、左大文字山、曼陀羅山)で行われるかがり火のことです。
代表格である大文字山(正式名称:如意ヶ嶽)の「大」のかがり火は誰もが知っている京都の夏の風物詩です。京都においては、厳粛な火であり宗教行事でもあるので、「焼き」という表現は避け、「五山の送り火」あるいは「大文字の送り火」と表現するそうです。また、信長の比叡山焼き討ちを連想するため、「焼き」という言葉を使わない人もいるそうです。
代表格である大文字山(正式名称:如意ヶ嶽)の「大」のかがり火は誰もが知っている京都の夏の風物詩です。京都においては、厳粛な火であり宗教行事でもあるので、「焼き」という表現は避け、「五山の送り火」あるいは「大文字の送り火」と表現するそうです。また、信長の比叡山焼き討ちを連想するため、「焼き」という言葉を使わない人もいるそうです。
この大文字山の送り火は京都市内随所から見れるように、建造物の制限が厳しくされています。古都ならではの景観や眺望を守るための細かな規制がされ、「五山の送り火」もその対象の一つになっております。鴨川や桂川からの人の視線と「大文字」の送り火との直接上に建造物が障害とならないように、高さ制限や、変更あるいは撤去の義務といった規則が設けられているんです。逆に言えば、この大文字山からは京都市街が一望できることが保証されているわけですね〜。
ホテルからすぐ近くにある「ねじりまんぽ」(蹴上トンネル)。レンガが斜めに積み上げられて、トンネルの壁が螺旋状にねじれて渦を巻いているような感じになっています。「まんぽ」とは坑道の意味であって間歩(まぶ)と書きますが、京都では「まんぽ」 と呼んでいたそうです。ここ、何気に日本で一番有名な「ねじりまんぽ」のようです。
南禅寺の三門に到着。
『絶景かな、絶景かな』で有名な石川五右衛門の桜門五三桐(さんもんごさんのきり)の舞台になった南禅寺三門。実際は五右衛門の死後30年以上経った寛永5年(1628年)の再建らしく、豊臣家の家臣だった藤堂高虎が現在の三門を寄進。高虎は、秀吉の死後徳川方に加担し、大坂夏の陣では豊臣方の長宗我部と死闘を演じた結果、600人近くの部下を亡くし、戦没者供養のためにこの三門を寄進したそうです。
ちなみに南禅寺三門は、知恩院の三門、東本願寺の御影同門(または仁和寺の仁王門)とともに、京都三大門の一つに数えられています。また、三門とは仏道修行で悟りを得るために通過しなければならない三つの関門を表したものらしく、・空 ・無相 ・無作 の三つの境地を経て仏の国に至る門とされているそうです。
『絶景かな、絶景かな』で有名な石川五右衛門の桜門五三桐(さんもんごさんのきり)の舞台になった南禅寺三門。実際は五右衛門の死後30年以上経った寛永5年(1628年)の再建らしく、豊臣家の家臣だった藤堂高虎が現在の三門を寄進。高虎は、秀吉の死後徳川方に加担し、大坂夏の陣では豊臣方の長宗我部と死闘を演じた結果、600人近くの部下を亡くし、戦没者供養のためにこの三門を寄進したそうです。
ちなみに南禅寺三門は、知恩院の三門、東本願寺の御影同門(または仁和寺の仁王門)とともに、京都三大門の一つに数えられています。また、三門とは仏道修行で悟りを得るために通過しなければならない三つの関門を表したものらしく、・空 ・無相 ・無作 の三つの境地を経て仏の国に至る門とされているそうです。
南禅寺の三門からすぐ近くにある「水路閣」。
琵琶湖の水を京都市内に引く「琵琶湖疏水」事業、その疎水事業の一環として造られた水路橋がこの「水路閣」です。明治維新によって都が京都から東京に遷った以降、失われた活力を再び京都に呼び戻すため,琵琶湖疏水という事業に着手したそうです。疏水の水力で新しい工業を興し、それまで陸路に頼っていた物流を、水路によりスピーディに物資の行き来を盛んにしようという計画です。
その疏水事業を象徴としている「水路閣」、重厚なレンガ造りのアーチ橋は明治23年に建てられて以来、モダンな造りと南禅寺の荘厳な雰囲気が絶妙にマッチし、京都を代表する観光名所の一つになっているんでしょうね。
その疏水事業を象徴としている「水路閣」、重厚なレンガ造りのアーチ橋は明治23年に建てられて以来、モダンな造りと南禅寺の荘厳な雰囲気が絶妙にマッチし、京都を代表する観光名所の一つになっているんでしょうね。
この水路閣の正面向かって右わきに階段があり、上に登ると水路閣を流れる疏水の流れを見ることができます。もともとは山の中に水路を通す計画だったのが、当初計画していたトンネルに天皇家の分骨があることがわかり変更となったのが現在のコースです。
この疏水分線を300m程南下すると、蹴上発電所水槽見張所にさしかかります。この発電所、「琵琶湖疏水」を利用した水路式水力発電所です。日本初の事業用水力発電所として明治24年に運転を開始し、今なお現役の発電所として電気を送り続けています。
ここでの発電が、西陣織機の機械化や国内初の路面電車の運行による電力需要を満たしたと言えます。
川の水力発電所はいくつもみたことあるけど、水路の発電とはね〜。この蹴上発電所は関西電力のCMにも採用されていましたね。パワーウィズハートですわ〜。
ここでの発電が、西陣織機の機械化や国内初の路面電車の運行による電力需要を満たしたと言えます。
川の水力発電所はいくつもみたことあるけど、水路の発電とはね〜。この蹴上発電所は関西電力のCMにも採用されていましたね。パワーウィズハートですわ〜。
大文字山の入り口となる 日向大神宮へと。
この日向(ひむかい)大神宮、観光客はあまりいませんが、紅葉の隠れた名所で知られているそうです。もともとは宮崎の高千穂峰の神霊を移して建てられたのが始まりで、内宮には天照大神が祀られているなど、なにかと伊勢神宮と共通点が多いことから「京のお伊勢さん」とも言われています。
そして、こことでなんと! かつてスポーツクラブで共に汗をかいて、数年前にも酒を飲み交わしたK野さんと遭遇! びっくりした! 同じく家族で大文字山に登そうな。しかもここの駐車場。。。おそらく無料。やられた〜。
K野さんとは別れて、我々は京都トレイルコースではなく、日向大神宮の裏山にある「開運厄除けの神天の岩戸くぐり」へと。
この天の岩戸をくぐり抜ければ心身の穢れが落ち、開運を招くと言われています。俗に言うパワースポットですね。
ここからやっと山道です。
登山ぽくなってきました。
七福思案処を過ぎた大日山国有林からの山科の眺望。上から眺めると京都が山地に囲まれた盆地だということがまざまざとわかります。歴史だけでなく地理の勉強にもなりますね〜。
この二人はそんな親の思いは少しも感じてくれなく、「つかれたー、かえりたーい」の連呼。「頂上まだー?」の質問には常に「もうちょっとやで」と決まり文句です。
13時過ぎに 標高466m 大文字山 山頂に到着です。
昼食を済ませて下山開始。すぐに火床中心点である展望台に到着。展望台には、弘法大師を祀る「大師堂」があり、その前に「大」の字の中心「金尾」(かなわ)が設置されています。いやー絶景です。東山から稲荷山に続く東山連峰と京都市街が一望でき、本当に素晴らしい景色です。
かつての日本の政治、文化、芸術の中心地が一望です。贅沢な景色ですわ〜。
銀閣寺方面に向かうので、「大」文字の左払い(ノ)、つまり北側にテクテクと降りていきます。
銀閣寺の参道をぬけると、『哲学の道』の北端です。
そんな哲学とは無関係に、コーラと水を飲みながら、この後のご褒美であるマクドナルドのメニューを何にするか考えている子供達。
桜の季節が終わったとはいえ、春を思いっきり感じさせてくれる、古都京都。
大阪や東京もいいけど、京都は雅さをまざまざと見せつけてくれるサイコーの都市ですね。
駐車場はウエスティンと、3年前と同じく雅な山登りでした。
最後の下山ルートはウエスティンのエスカレータ。
いやー やっぱ京都はええですなあ。