天気:晴れ
メンバー:難波こぶしの会、みぃみ
蹴上駅9:00~河原町駅15:30
京都の伝統行事として 葵祭、祇園祭、時代祭 とともに
京都四大行事の一つに挙げられる「五山の送り火」があります。
お盆の8月16日にニュース等で放映される「大」の文字が有名ですが、
文字通り五山(大文字山、西山&東山、船山、左大文字山、曼陀羅山)
で行われるかがり火のことです。
代表格である大文字山(正式名称:如意ヶ嶽)の「大」のかがり火は誰もが知っている
京都の夏の風物詩です。
京都においては、厳粛な火であり宗教行事でもあるので、「焼き」という表現は避け、
「五山の送り火」あるいは「大文字の送り火」と表現するそうです。
また、信長の比叡山焼き討ちを連想するため、「焼き」という言葉を使わない人もいるそうです。
この大文字山の送り火は京都市内随所から見れるように、建造物の制限が厳しくされています。
古都ならではの景観や眺望を守るための細かな規制がされ、
「五山の送り火」もその対象の一つになっております。
鴨川や桂川からの人の視線と「大文字」の送り火との直接上に建造物が障害とならないように、
高さ制限や、変更あるいは撤去の義務といった規則が設けられているんです。
逆に言えば、この大文字山からは京都市街が一望できることが保証されているわけですね〜。
山の高さは466mですが、そんな厳かな山を登る機会が得れるとは…
いやー 幸せっす。
さて、集合場所の蹴上駅には少し遅れてしまい、最後に到着してしまいました。
こぶしの会の方々は時間に実に忠実です。
余裕の到着と思い込んでしまい御迷惑をおかけしました。
蹴上駅のすぐ近くにある「ねじりまんぽ」(蹴上トンネル)。
そんな「ねじりまんぽ」をあとにして、
南禅寺の別院、金地院内の東照宮も後にして、
南禅寺の三門に到着。
『絶景かな、絶景かな』で有名な石川五右衛門の桜門五三桐(さんもんごさんのきり)
の舞台になった南禅寺三門。
実際は五右衛門の死後30年以上経った寛永5年(1628年)の再建らしく、
豊臣家の家臣だった藤堂高虎が現在の三門を寄進。
高虎は、秀吉の死後徳川方に加担し、大坂夏の陣では豊臣方の長宗我部と死闘を演じた結果、
600人近くの部下を亡くし、戦没者供養のためにこの三門を寄進したそうです。
ちなみに南禅寺三門は、知恩院の三門、東本願寺の御影同門(または仁和寺の仁王門)とともに、
京都三大門の一つに数えられています。
また、三門とは仏道修行で悟りを得るために通過しなければならない三つの関門を表したものらしく、
・空 ・無相 ・無作 の三つの境地を経て仏の国に至る門とされているそうです。
次に、これまた南禅寺の敷地内にある「水路閣」
琵琶湖の水を京都市内に引く「琵琶湖疏水」事業、
その疎水事業の一環として造られた水路橋がこの「水路閣」。
明治維新によって都が京都から東京に遷った以降、失われた活力を再び京都に呼び戻すため,
琵琶湖疏水という事業に着手したそうです。
疏水の水力で新しい工業を興し、それまで陸路に頼っていた物流を、
水路によりスピーディに物資の行き来を盛んにしようという計画です。
その疏水事業を象徴としている「水路閣」、
重厚なレンガ造りのアーチ橋は明治23年に建てられて以来、
モダンな造りと南禅寺の荘厳な雰囲気が絶妙にマッチし、
京都を代表する観光名所の一つになっているんでしょうね。
この水路閣の正面向かって右わきに階段があり、
上に登ると水路閣を流れる疏水の流れを見ることができます。
もともとは山の中に水路を通す計画だったのが、
当初計画していたトンネルに天皇家の分骨があることがわかり変更となったのが現在のコースです。
この疏水分線を300m程南下すると、蹴上発電所水槽見張所にさしかかります。
この発電所、「琵琶湖疏水」を利用した水路式水力発電所です。
日本初の事業用水力発電所として明治24年に運転を開始し、
今なお現役の発電所として電気を送り続けています。
ここでの発電が、西陣織機の機械化や国内初の路面電車の運行による
電力需要を満たしたと言えます。
川の水力発電所はいくつもみたことあるけど、水路の発電とはね〜。
この蹴上発電所は関西電力のCMにも採用されていますね。
パワーウィズハートですわ〜。
琵琶湖疏水の陣頭指揮をとった田邉朔郎博士の銅像です。
東大の卒論で「琵琶湖疏水工事計画」を執筆したことから、
卒業と同時に琵琶湖疏水の工事主任として招聘され、
疏水事業、蹴上インクライン、蹴上水力発電所の建設、全てに関わったようです。
その蹴上インクライン、
琵琶湖から延びてきた水路が蹴上で落差が激しくなるので陸路に頼らざるを得ませんでした。
そこで考案されたのが「インクライン」という傾斜鉄道です。
蹴上の船溜まりから南禅寺の船溜まりの間は約600mで、ゆるやかに傾斜地を作ったものの、
その落差は36メートルになります。
インクラインによって、船を丸ごと台車に乗せてワイヤーロープを巻き上げることで
台車を移動させることを可能にしました。
当初ワイヤーロープの巻き上げには水車の動力を利用していたそうですが、
その後は蹴上発電所の電力を利用することになったそうです。
この600mの移動には10〜15分ほどかかっていたそうです。
ここまででもかなりの歴史的な建造物を巡っています。さすがは京の都です。
大文字山の入り口となる 日向大神宮に到着。
この日向(ひむかい)大神宮、
観光客は全くいませんが、紅葉の隠れた名所で知られているそうです。
もともとは宮崎の高千穂峰の神霊を移して建てられたのが始まりで、
内宮には天照大神が祀られているなど、なにかと伊勢神宮と共通点が多いことから
「京のお伊勢さん」とも言われています。
凛とした真冬の空気が荘厳な雰囲気をより一層ひきたててくれます。
日向大神宮の裏山にある「開運厄除けの神天の岩戸くぐり」
この天の岩戸をくぐり抜ければ心身の穢れが落ち、開運を招くと言われています。
俗に言うパワースポットですね。
これで私の何十年にも及ぶ悪行や穢れが落ちればいいのですが…
ここからやっと山道です。
登山ぽくなってきました。
七福思案処を過ぎた大日山国有林からの山科の眺望
上から眺めると京都が山地に囲まれた盆地だということがまざまざとわかります。
歴史だけでなく地理の勉強にもなりますね〜。
山頂に近づくにつれ積雪が多くなりましたが、アイゼンを使用するまでもなかったです。
11寺半に 標高466m 大文字山 山頂に到着です。
火床中心点の展望台からの眺めも素晴らしいです。ホント晴れてよかったです。
写真真ん中左端にポコんと浮かんでいるのは、京都大学と吉田山です。
銀閣寺方面に向かうので、「大」文字の左払い(ノ)、つまり北側にテクテクと降りていきます。
ほどなくして 千人塚に到着。
この辺りではナラ枯れ被害の木を適度に伐採しているので、木漏れ日がいい感じでさしてきます。
この千人塚、文字通りたくさんの人骨が発見されたそうです。
第二次世界大戦末期、日本軍が本土決戦に備えこの場所に高射砲を設置するために地面を掘ったところ、
おびただしい人骨の入った壺がたくさん出てきたそうです。
京都を追われた室町幕府13代将軍 足利義輝がこの地に中尾城を建設・拠点として、
自分と父親を追い出した三好・松永の軍と戦い、その戦に破れたときの兵士の遺骨といわれています。
ここから銀閣寺方面は歩きやすい山道でした。
銀閣寺に到着。
言わずと知れた 室町幕府第8代将軍足利義政が建てた 東山文化を代表する寺院です。
みぃみさん、歴史で習っていたので 訪れるのを楽しみにしていたそうですが、
山登りにストイックな体育会こぶしの会からの許しを得ることはできませんでした。
残念(笑)。
銀閣寺の参道をぬけると、哲学の道の北端です。
こうしてみると、みぃみさん、カズヨさんと同じ背丈なんだなあ。
いやー 成長したもんだ。
春は桜、初夏は木々の緑、秋は紅葉と四季折々に景色が変化する自然の美しい区間で、
桜の季節や紅葉の時期は素晴らしいんでしょうね。
冬の今日はあいにくですが、その分人通りが少ないのでスムーズに歩を進めることができます。
この哲学の道は約1.5キロになりますが、この道沿いにも琵琶湖疏水が流れています。
道中、鉛筆で絵を描かれている方がいらっしゃいました。
絵心がない私にとっては実に羨ましく思える才能です。
死んだ親父は絵をよく描いていましたが、このあたりは遺伝しなかったようです。
若王子神社前に到着。
続いて 禅林寺に到着。
禅林寺前の句言
「 かんしゃくの くの字をすてて 日を過ごせ 」 さすがっす。
野村證券創設者 野村徳七の美術品を展示している 野村美術館。
冬季休館なのでこれまた素通り。
蹴上インクラインの南禅寺側船溜まりまで戻ってまいりました。
これにて東山界隈の名所をグルッと一周したことになります。
京都三大事業とは、
①琵琶湖からの大量の水による電力発電事業である 琵琶湖第二疏水事業
②市内衛生面の改善を第二疏水からの水で改善する 上水道整備事業
③第二疏水から得られる電力が可能とする 電気鉄道敷設事業
をいいます。
明治45年に事業は完成して京都は新たな一歩を踏み出すことになった、
その80周年祈念としてのモニュメント。(平成4年11月)
西に向かい、平安神宮や国立美術館前の観光客でごった返している中をひた歩き、
国立近代美術館前から白川沿いの小径を南西に向かい、
東大路通りに出て祇園に到着。
本日最後の登りは 餃子の王将 祇園八坂店 標高3mです。
1年ぶりの訪問は ビール2杯と餃子2人前。
実はこれを楽しみにしていました。
楽しい山登りの話にしばし盛り上がり、
お店を出たところで こぶしの会のみなさんとお別れ。
嫁から 豆大福の土産オーダーをいただいたので、
みぃみさんと祇園界隈を散策しがてら探索へ。
この東山コース、 何度訪れても決して飽きないと思います。
やっぱ京都はいいですなあ。
そんな雅な都登山でした〜。
ヤマップ
(参照:「千年の都を見渡しに。大文字山を登る”わたしの京都旅”」)