突然部屋が明るくなって、すっかり日が暮れていたのだと気づいた。
「ただいま。どうしたの、電気もつけないで。寝てた?」
「……」
言われて時計を見る。
4時までの予定だった会議は延長になったらしく、現在は7時を過ぎていた。
「じゅん?なに真剣に読んでるの?」
膝の上にはファッション誌が広げてあるけど、真剣になんて読んでない。見てもいない。
ただ顔を上げたくないだけだ。
しょおさんはネクタイを緩めながら俺の隣に座って顔を覗き込んだ。
「ただいま」
「…おかえりなさい」
目を見て言われたらさすがに返事しないわけにはいかない。
しょおさんは満足そうにいつものようににっこりと微笑んでキスをくれた。
「はぁーー、つっかれたよ。遅くなってごめんね。今度オープンする中国工場の生産ラインが大幅に遅れてるみたいでさ」
「ちょっ、しょおさん…」
言いながら肩に手を回して俺のシャツのボタンをはずしていく。
「疲れた。シャワー浴びたい。一緒に風呂入ろ?」
「待ってください」
「どうしたの?」
「どうしたのじゃなくて…」
「ん?」
しょおさんに向き直ると、不思議そうに手を止めた。
俺は静かに深く息を吐いて心臓を落ち着かせる。
それから、今日1日…、いやその前からずっと思っていた質問をしょおさんに投げかけた。
「しょおさんは俺のこと、どう思ってるんですか」
「どうって?恋人だと思ってるよ」
「……」
「ごめん、長い時間1人にさせて。不安にさせちゃったね」
抱き寄せて髪を撫でる。
しょおさんはいつも優しくて紳士的。
だけど今欲しい答えはそれじゃない。
そう思ってしまう自分は人間としての器が小さいのかも知れない。
「愛してるよ、じゅん。機嫌なおして?」
「しょおさん…」
「いい子で待っててくれてありがとう。おかげで安心して仕事ができたよ」
胸が苦しくなる。
しょおさんのいう「仕事」に
俺は多分含まれていない。
「櫻井副社長」
「ふふ、なに?あらたまって」
「俺は確かに恋人ですけど…、副社長の第二秘書でもあります」
「うん、そうだね」
「しょおさんは俺の事、第二秘書だと思ってくれてますか?」
「もちろん!思ってるよ」
しょおさんが優しく笑う。
どこか空々しいセリフ。
「だから安心し…」
「俺は、しょおさんの力になりたいんです」
苦しいよ。
みんなが働いているのに1人でお留守番なんて
まるで能無しだと言われているみたい。
「プライベートだけでなく、お仕事でも、俺はしょおさんのパートナーになりたいです。今は二宮さんがいるから俺にはほとんど秘書としての出番がないことも、今の俺では何の役にも立たないことも分かっています。でも見て学ぶことはできると思います」
「じゅん?何が言いたいの?」
「俺は、もっとちゃんと第二秘書としての仕事をしたいです」
「してもらってるじゃん。じゅんのおかげで俺は仕事に集中できるんだよ。いつも感謝してる。ありがとう」
「そういうんじゃなくて!」
「違うの?じゃあどういうこと?」
「だから俺は…、もっと仕事がしたいんです。家事とかえっちの相手とかだけじゃなくて、もっとビジネスのお仕事を」
「家事も立派な仕事だよ」
「そうですけど」
「じゅん、本当にどうしたの、今日。待ち疲れちゃった?」
疲れてなんてない。
疲れるほどの事なんて何もしていないし。
「ほら、今日はシャワー浴びて早めに寝よう。ね?」
しょおさんはまたボタン外しを再開した。
「……」
「仕事なんて、やりたいことばかりできるわけじゃないよ。やりたくない事の方が多いんだから。
特に新入社員はどうしても雑用が多くなる。そういうもんだよ」
分かってる。
しょおさんの言っていることは全くの正論だ。
「でも、確かにじゅんの言う通りだね」
「しょおさん…」
「インターンシップの時のじゅんの働きぶりは報告を受けている。いずれは俺の右腕となって働いてもらいたいと思っている。本当に頼りにしてるんだよ。
でも今は我慢させてしまうことが多いね。ごめん」
「ううん」
俺も首を振る。
「俺の方こそ、我儘言ってごめんなさい。こんなにいい条件で雇ってもらってるのに、贅沢だよね」
「そんなことない。嬉しいよ。何か気になることがあったら、今みたいに遠慮なく言って」
「ありがとう」
少しは俺の気持ち、伝わったかな。
心がふっと軽くなった。
「じゅん、愛してるよ…」
「しょおさん…」
俺たちは副社長と第二秘書。
だけど今は恋人同士。
あまーいキスをして
ゆっくりと目を閉じれば
しょおさんの指が身体のラインをなぞって
触られた肌がすぐに火照りはじめる。
「…これ、なに?」
ん?
これ?
しょおさんが胸のポケットから何かを取り出す気配がした。
「じゅん。一体これはなんだ?」
「え?」
さっきのあまい囁きから
緊張感のある厳しい声に変わった。
びっくりして目を開ける。
「じゅん!」
「え、なに?」
苛立ちを含んだ冷たい目。
聞いた事ない、低い声。
「これは、なんだと聞いている」
「あ…」
それは、専務の名刺だった。