大人げないことをしてしまった。

目の前で潤に馴れ馴れしくされたからつい喧嘩腰になってしまったが、力技で相手をねじ伏せるのは気分のいいものではない。

嬉しそうに俺にくっついてくる潤の横で解約手続きを進めるトレーナーさんを見ていたらさすがに心が痛んだ。


それに引き換え、潤は現在ご機嫌だ。
鼻歌まじりで歩いている。



「若いって気軽でいいなぁ」

「なにそれ~。しょおくん、おじさんみたい」

「潤からしたらおじさんですよ」

「おじさんじゃないよ。恋人だもーん」



ご機嫌の理由はこれ。
俺が潤を恋人だと宣言したのが思いのほか嬉しかったらしい。



「トレーナーさん、気の毒だったね」

「大丈夫だよ、あそこ人気のジムだもん。新しい利用者さんすぐ入るよ」

「いや売上じゃなくて。潤にあんなフラれ方されてさ」

「えー?俺フッてないよ。告られてもいないし」

「本気で気づいてないの?鈍感すぎるでしょ」

「しょおくんがヤキモチ妬きなんだよ。あのトレーナーさんはすっごくいい人なの!俺の幸せを願ってるっていつも言ってくれてるもん。だからきっと今頃は俺が幸せそうだったから良かったって喜んでくれてるよ」

「あ⋯そう⋯⋯」



それ口説かれてたんだよ。
と言っても伝わらなそうなので言葉を飲み飲んだ。

こんな鈍感すぎる潤に気づいてすらもらえずにフラれている可哀想な人が他に何人いるのか心配になる。



「しょおくん、それよりこれからどこ行く?」



潤がつんつんと袖を引っ張った。



「あー、そうだね。お腹空いたよね。何食べたい?」

「食べるものはなんでもいいんだけど⋯」

「なに?どこか行きたいとこあるの?」

「2人でゆっくりしたい」

「ゆっくりかぁ。てことは、個室のお店とか?」

「じゃなくて。ごはんはコンビニとかで全然いいんだけど」

「コンビニ弁当?じゃあまた潤の部屋?うちでもいいんだけど、1階がお店だからなー。人呼ぶと落ち着かないんだよなー」



俺は今でもキッチンすみれの2階に住ませてもらっている。

数年ぶりの潤からの電話もキッチンすみれにかかってきたものだ。
もう住んでいなかったら諦めようと思っていたらしい。

住み着いて15年。
愛着もあるし居心地もいい。
すみれさんは両親のいない俺にとってお母さんみたいな存在だ。

だから余計なのか、俺が友達を部屋に呼ぶと気になるらしく軽食や飲み物を何度も部屋に持ってきてくれる。

恋人を連れ込むのはなかなか難易度が高いのだ。



「俺はどっちかの部屋でもいいんだけどー」



歯切れの悪い反応で、ちらっと俺を見る。



「ん?」

「ううん。何でもない」

「え、なに?気になるじゃん。何か言いたいことあるなら言って?行きたいとこあるの?」

「うん⋯。あのね⋯」

「うん」



もじもじしながら言葉を探って



「しょおくんは、ラブホって行ったことある?」

「ぶっ!」

「ねぇ、ある?」



予想外の質問に思わず吹いた。


この場合、どっちが正解?
でもこの歳でないっていうのも嘘くさいよな。

中途半端に嘘つくよりは正直に答えた方がいい気がする。



「そりゃ⋯まぁ、あるけど」

「あるの!?」

「あるよ。俺もう35だよ」

「そっかぁ~。オトナだなぁ~」

「オトナなのか?」



なんかよく分からないけど感心されてしまった。



「いいなー!俺も行きたい!」

「そんな遊園地みたいなノリで言うなよ」

「だって、友達がめっちゃ楽しいって言ってたんだよ!だから行ってみたい!」



目をキラキラさせている。

純粋というか天然というか、何と言うか。



「あのね。そんな気軽な感じで遊びに行く所じゃないの」

「だって光ってぶくぶくするお風呂があったり、変なビデオが見放題なんでしょ?」

「あー、まぁだいたいの部屋には付いてるかな」

「あと見たことないオモチャもあるって」

「それは使わないよ」

「それに、ずっと裸でイチャイチャしてられるし、声も気にしなくていいって」

「誰情報だよ」

「俺もラブホにお泊まりしたいー!」

「オッホン!!」



俺はわざとらしく咳払いをする。



「可愛い生徒をラブホに連れていくわけにはいきません」

「えーなんでー?生徒じゃないよ、こ、い、び、と!」

「子供が遊びに行くところじゃないの」

「もう大人だし」

「とにかく、初めてのデートで行くような所じゃないの」

「ケチ!」

「ケチとかそういう問題じゃない」



俺は潤にまっすぐと向き直った。



「あのね、潤。会ったらヤる、みたいなんじゃなくて、俺はお前をちゃんと大事にしたいんだよ」

「しょおくん」

「だからさ、そういう所は泊まるところがそこしかない時とか、付き合いが長くなってマンネリしてきた時とかに行こうよ。俺たちにはまだ必要ないでしょ。付き合ったばっかりなんだし」



潤の手を取る。



「⋯そっか」

「今日は俺たちの付き合ってから初めてのデートなんだからさ、代わりに何か美味しいもの食べに行こうよ。焼肉でも寿司でもフレンチでも、何でもいいよ」

「うん!」



潤は嬉しそうににっこり笑った。

良かった。
俺の気持ち、ちゃんと伝わったみたい。



「楽しみにしてたのに、行けなくてごめんね」

「ううん、いいよ。しょおくんの気持ち、嬉しいから」

「潤⋯」

「俺こそ、ワガママ言ってごめんね。俺は今度行ってくるから、しょおくんは気にしないで」

「⋯⋯」



ん?

ん?


今度⋯行ってくる⋯???



「ちょ、待て、どういうこと?」

「え?あー、友達とね、今度行こうってことになってたんだ。プレステとかカラオケで対戦したりルームサービス取ったりして遊ぼうって」

「はあ!?」

「恋人ができたからって断っちゃったんだけど、事情を話せば分かってくれると思うよ。みんなでラブホツアー行ってくる。だからしょおくんは気にしな⋯」

「気にするわ!!なんで友達と行くんだよ!!」

「しょおくんが行ってくれないからでしょ」

「そういう問題じゃねーわ」

「大丈夫だよ、ちょっと探検に行くだけだし。5人まで入れるんだって」

「いやいや」

「みんな大学の同級生だから全然大丈夫だよ」



これがジェネレーションギャップというものだろうか。


15年という月日は想像以上に俺たちの感覚を引き離してしまっているのかもしれない。


俺は深くため息をついた。



「持ち込みもできるんでしょ?何持ってこうかな。楽しみ~!あ、しょおくん心配性だからたくさん写真送るね。それなら安心でしょ」

「分かった」

「やった!ありがとう」

「これから行こう」

「え?」

「今日これから、2人で行こう。コンビニで弁当とビール買って」

「え、でも⋯」

「潤」



手をぎゅっと強く握る。



「初めてのラブホは俺とじゃなきゃダメ」