潤と恋人になって3日が経った。
なんやかんやで毎日連絡はとっている。
本当に恋人なんだとやっと実感がわいてきたところだ。
今日は約束の水曜日。仕事終わりに待ち合わせてから潤の行っているジムに向かう。
厚いガラスのドアを開けると、受付にいた男性が気づいて駆け寄ってきた。
「潤くん!急に連絡とれなくなったから心配したよ!」
「すみません」
「スマホどうしたの?壊れちゃったの?でも元気そうで良かった」
こいつか。
てゆーかなんで名前呼び?
ジムのトレーナーと利用者だろ?
潤にLINEをブロックされて連絡取れないのをスマホのトラブルだと思っているらしい。見るからに軽薄そうな男はトレーナーだけあってガタイがいい。
こんなやつの家にのこのこついて行って力づくで何かされたら華奢な潤じゃ太刀打ちできない。
変なことをされる前に気づけて本当に良かった。
「昨日から新しいマシンが入ったんだよ。腹圧上げるための特殊なベルトを着けてトレーニングするんだけど、使ってみるでしょ?」
「えっと⋯」
言いながら腰に手を回す。
「ベルトが着けづらいからコツがいるんだけど、着けてあげるよ。更衣室行こうか」
「いえ、あの、今日は⋯」
「潤!」
声をかけるとそいつはやっと俺に気づいて、潤から慌てて手を離した。
「えっ⋯と、こちらの方は、潤くんの紹介の方かな?」
「違います」
食い気味に否定する。
つーか、こいつ潤しか見えてなかったな。
馴れ馴れしく触ってるし、更衣室に行こうとか下心見え見え。受付にいたのも潤の予約が入っているから待っていたのだろう。
「俺は潤の付き添いです。今日は解約に来ました」
「解約!?え?潤くん、解約するの?」
「すみません」
「早速手続きをしたいのですが」
「そんないきなり、ちょっと待ってくださいお父様!」
「は!?」
誰がお父様だ!!
お前の父親になった覚えはねぇっつーの!!
確かに潤よりも15上だけど若く見られるからな!!
「先生、そんな突然じゃ失礼でしょ。解約はちゃんとするから順を追って説明させてよ」
「先生?」
潤はまだ俺の呼び名に慣れないらしく、ふとした時に先生と言ってしまう。
トレーナーは怪訝そうに俺を見た。
「もしかして、潤くんの大学の先生ですか?大学の先生が生徒の解約の付き添いまでするんですか?」
「いや、大学では」
「じゃあ高校?」
「でもない、かな」
「え、まさか中学とか?」
「いや」
「さすがに小学校ってことはないですよね」
「⋯⋯」
「しょおくんは保育園の時の先生だよ」
「こら、潤っ」
「だって本当じゃん」
「保育園の先生~??」
保育園の先生だと知って、そいつはふふんと鼻を鳴らした。明らかにバカにした顔と口調に思わずムッとする。
つーかお前だって小さい頃に着替えさせてもらったりお尻拭いてもらったりしただろうが!!
その態度、全国の保育士たちに謝れ!!
「保育園の先生が何年も昔の教え子にくっついてくるんですか?へぇー、ずいぶんと面倒見がいいんですね、男性の保育士のくせに」
敵意をむきだしているところを見るとやはり潤狙いだったのだろう。
保育士をバカにされたら黙ってはいられない。
「そうですか?顧客を家に招いてプライベートでマッサージしてあげる方が面倒見いいと思いますけど?」
「ちょっ、二人とも⋯」
バチバチと見えない火花が散っている横で、不穏な空気を感じた潤はおろおろしている。
「別に変な意味で誘ったわけではありません」
「そうでしょうか。可愛い教え子が変な家に連れ込まれそうなことを知ってしまったら黙ってはいられませんから」
「保育園の先生が昔の卒業生のプライベートにまで首をつっこむのはいかがなものですか」
「そちらこそ、このジムのコンプライアンスはどうなっているんですか」
「ただの保育士は引っ込んでいてください。これは俺と潤くんの関係ですから」
「ただの保育士ではありません。俺は潤の恋人です!」
「えっ」
はっきり告げるとトレーナーの顔色が変わった。
「ちょっ、先生ったら、そんなこと急に言わないでよ。心の準備が~」
「本当のことなんだから別にいいだろ」
「いいけど、顔がにやけちゃうよ~」
潤は手で顔を覆って恥ずかしそうに照れている。
対してトレーナーはさっきまでの勢いを完全に消失し動揺している。
「え?え?だって潤くん、恋人いないって⋯」
「はい。この前から付き合い始めたんです。忘れられない人がいるって言ってた、その人です」
「だから忘れたいって…」
「俺そんなこと言いましたっけ」
「そういう意味だと⋯絶対叶わない恋だっていうから⋯」
「えへっ叶っちゃった♡」
「!!!」
満面の笑みで俺の腕にくっついてきた。
さすがにトレーナーさんが気の毒になる。
「もう、うちのカレったら誤解してるんですよ。相談に乗ってもらってただけなのに。ジムのトレーナーさんとどうこうなるなんて絶対ないのに、ねぇ?この方は特定のお客さんに手を出すような最低な人じゃないって言ったんですけど、ヤキモチ妬きなんです♡だから本当にごめんなさい。解約してもいいですか?」
うわ。
この人、自分でトドメ刺したよ。
無自覚って凶器だ。
トレーナーは完全に魂の抜けた顔で「わ、分かりました⋯」と呟いた。
「あの、すみません。疑っているわけではないのですが、うちの実家が経営しているジムが近くにあるので、そっちに行くことになってしまって⋯。急で申し訳ないです」
さすがに可哀想になってきて、実家がジムを経営しているなんて真っ赤な嘘をついてしまった。
しかしこの場合、嘘も方便。
って、なんで俺がフォローしてんだよ!!
「え、そのジム、実家なの?うわ~緊張しちゃう!」
「しっ」
嘘なんだからお前があまり掘るなって!
「どうしよう。ご両親に会うの?何か手土産持っていった方がいい?」
「いや、これから手続きするからちょっと黙ってようか!?」
「しょおくん~!ドキドキするよぉ~!」
「潤、静かにしてて。ほら字書けないから離して。手続きできないでしょ」
「恋人なんだからいいじゃん~離れないもん」
「こらっ」
そんな感じで、なんとか無事にジムを解約することができた。