「へぇー。綺麗にしてるじゃん」
潤のマンション。
モノトーンで統一されたシンプルな部屋は綺麗に整頓されていて、物は多くないがオシャレなインテリアがセンス良く配置されている。
かつての教え子の部屋に入るなんて思いもしなかった。
「先生が寄るかもしれないから、一応掃除しといたんだよ」
「さっすが。読み通り」
「ビールでいい?焼酎あるよ。あ、水飲む?」
「喉乾いた。水飲みたいかも」
「オッケー、その辺てきとーに座ってて」
気が利くなぁ。
そういえば小さい頃も、泣き虫だけど芯のしっかりある賢い子だったもんな。
「はい。常温だけどいい?」
「全然いいよ。ありがと」
「味の濃いものが多いから喉渇くよね」
潤はペットボトルを2本手に持って奥から戻ってきた。
俺はさっきコンビニで買ってきた缶ビールとつまみをテーブルに並べる。
「まさかかつての教え子にもてなされる日がくるなんてなぁー」
「そればっか」
「マジで感慨深いよ、俺は!ちびっ子だった潤がこんなに立派になっちゃって」
「ふふ」
潤は少し呆れて笑いながら隣に腰をおろす。
「俺、オトナになったでしょ?」
にこっと微笑む。
間接照明が柔らかく照らす。
「可愛い」から「綺麗」に鮮やかに変身を遂げた教え子は、まるで羽化したばかりの蝶みたいに危うく瑞々しい。
「その分、俺は歳とったけどね」
「そんなことないよ。先生は変わってない」
「初めて保育園の先生になったのが二十歳でしょ。あの時の俺の年齢なんだもんなぁ」
年長さんだった潤は当時5歳。
あれから15年の月日が流れ、そして今こうして酒を酌み交わしているなんて、不思議な気分だ。
俺はペットボトルの蓋を開けて、ごくごくと喉に流し込む。
「ねぇ先生。覚えてる?俺の七夕の願い事」
「願い事?」
「年長さんの時に書いた、願い事」
「あー」
なんとなく、目をそらす。
「あったね。なんだっけ」
「覚えてないの?」
「ごめん、10年以上も前だし」
本当は覚えている。
だけど、それを今口に出してしまうのはなんていうか
「大きくなったら太陽先生と結婚できますように、って短冊に書いたんだよ」
「……」
潤の視線を横顔に感じる。
俺はなんとなく、ペットボトルの蓋から目を離せなくなった。
「覚えてなかった?」
「当時何人受け持ってたと思うんだよ。新米で余裕なかったし」
「その時の先生、なんて答えたと思う?」
潤は困惑気味の俺の返答をスルーして話を続ける。
「ふふ。先生ね、優しいんだよ。否定しないで受け止めてくれたんだ」
「そうだっけ?」
「潤が大人になったらね、って。そう答えてくれたんだよ」
「……」
なんとなく誤魔化そうとまたペットボトルの蓋を開けてみたものの、さっきがぶ飲みしたので仕方なくまた蓋をした。
潤がじいっと俺の横顔を見つめているのが分かる。
「本当は覚えてたでしょ?」
覚えてた。
てゆーか、思い出した。
「へんなねがいごと!」ってお友達にからかわれて、悔しそうに涙を堪えていた泣き虫の潤の顔を。
見かねた他の先生が「願い事書き直す?」って聞いたけど、断固として変えなかった。
健気な姿が可愛くて愛しいと思ったんだ。
思ったけど、それはそういう意味じゃなくて。
「ねぇ、先生」
潤が身体を寄せてきた。
すぐ耳元で声が聞こえる。
「俺、大人になったでしょ?」
これはまずい。
潤は15も年下の教え子だ。
俺がしっかりしなければ。
「あ。あの、さ」
潤と向き合う。
思ったよりも距離が近くて焦る。
「うん?」
ほろ酔いなのか
とろんとした上目遣いで首を傾げる。
色っぽい仕草に
思わずクラっとする。
だめだめ。
言わなきゃ。
ちゃんと。
期待させてしまったのならごめんって。
君はまだ若いんだから、
こんな酔った勢いなんて良くないよって
「あの、じゅ…」
その時。
ふわっと花の香りがして
柔らかい唇の感触が言葉を遮った。