健やかな精神が宿る場所 | ゆるーく玄米菜食

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ゆるーく続けられる玄米菜食生活!

先日、同僚から「今日はどうしたんすか!?優しいじゃないですか!最近ご機嫌じゃないですか!?ガーン」と言われた。


おい…優しいのは元々だと思うけど?えー


ご機嫌なのは、キックボクシングに通っているおかげニヤリ

合法的に殴って蹴って!
その日のストレス、その日のうちに口笛





昔は、“仕事のストレスは仕事で昇華させるしか無い”と思っていた。
それが大人だと。

新人の頃は、自分の仕事だけでも手一杯だったのに、他の誰かが断った雑務まで押しつけられ、負けるもんか!と深夜のオフィスでひとり半べそかきながら作業した夜も数知れず。

当時はふたり暮らしだったのに、なぜだかほとんどの家事をひとりでやって、公私共々もやもやイライラを溜め込んでいた。



そんな生活は数年しか保たず。
病気になってようやく「ああ、私は無理をしていたんだなあ」と気付く。

一生懸命なのも真面目なのも結構だけれど、心に余裕がなく、楽しいと思えることも少なくて、いつも険しい表情をしていたような気がする。

自分が何をしたくて誰を好きなのかも見えていなかったし、たとえ見えていたところで、意思表示をした結果、自分のほうが切り捨てられるんじゃないかと思えて、本音はなかなか言えなかった。

心が壊れる前に身体を壊したのは不幸中の幸いだったのだと思う。
しかもそれが20代半ばの若い時で本当に良かった。



3年半前、持病が寛解状態になったのを機に、生まれて初めて自発的にスポーツを始め、それまでの「ただでさえ仕事で疲れているのに、なんでなおさら疲れることをするのだろう」という考えが間違いだったということに気付けた。

一ヶ月半前、ひとり黙々と筋トレや有酸素マシンに励んでいたフィットネスジムから格闘技のジムに変え、みんなと身体を動かすことの楽しさも知った。

最初の頃は周りと比べて本当に下手で、なにをするにも恥ずかしくてたまらなかったけれど、最近は楽しさの方が勝っちゃうし、先生たちが私の運動神経の悪さに合わせてくれるおかげで、なんとか少しずつ進歩している。
ので、ついつい毎日行ってしまう。



そんなこんなで、30代の今は、ハタチの頃よりずっと元気。

病気が判明した少し後、「健やかな精神は健やかな身体に宿るのよ」と言われ、まるで私の精神が不健全であるかのような発言にショックを受けたりもしたけれど。

その言葉の意味、今はちゃんと理解できていると思う。

他人の目や評価に怯えず自分らしく真っ直ぐいられるのも、仕事が好調なのも多少の失敗ではへこたれないのも、心身ともに元気なおかげ。





知人で、フィットネスジムやジョギング、キックボクシングに興味があると言いながら、数ヵ月も数年も経っている人がたくさん居るけれど、

   忙しいからな~
   運動は苦手だからな~
   疲れると仕事に響くからな~

なんて言って始められない人は、言い訳している期間×年齢分くらい人生損してますよニヤリ



さて。
今日も、殴って蹴って蹴りまくるぞ~👊