三國屋物語 第18話
店(たな)への帰途で、瞬は鶴屋の餅が食べたいと篠塚にいったが、
「若旦那がそうそう店を留守にするものではない」
と、にべもなく断られた。実際のところ、三國屋で若旦那(わかだんな)というと瞬の父である誠衛門(せいえもん)がそれにあたるのだが、誠衛門の父であり瞬の祖父にあたる三國屋主人・五郎衛門(ごろうえもん)は変わり者で、江戸のほうが商(あきな)いが面白いといって、瞬の五つ年上である兄の良蔵(りょうぞう)とともに江戸支店を営んでいる。なので京店(きょうたな)での主人は誠衛門、瞬は若旦那となる。
たしかに、江戸は何でもよく売れる。本来、呉服屋は絹物しか扱わないのだが、江戸支店では綿や麻など太物のほか、小間物、金工、漆工など伝統手工まで扱っていた。生まれながらの商人である五郎衛門が利幅が大きい江戸にいて商いがしたいというのも当然といえば当然のことで、このままいくと兄の良蔵が江戸店を継ぐことになり瞬は京店を任されることになりそうだ。
店に帰ると、丁稚(でっち)の松吉(まつきち)が、
「お帰りなさい」
といって、そそくさと近づいてきた。ついでといった様子で篠塚にも、こくりと頭をさげる。松吉は、まだ前髪を残す十四歳の少年だった。
松吉はいかにも京育ちといったらいいだろうか、話し方も苛々(いらいら)するほどまったりとしている。しかも、つぶやくように話すので、瞬は嫌でも腰を折り耳をかたむける格好になってしまう。いつもは瞬の供をしているのだが、今日は篠塚がいたので松吉を連れずにでかけた。松吉は見目(みめ)もよく正直者で嘘をつかないところを誠衛門に気に入られ瞬のお供に選ばれたのだが、瞬にしてみれば松吉のおかげで自由がきかない。
瞬はけっして女に興味がないわけではない。三國屋の若旦那ということで言い寄ってくる女も少なからずいたが、如何(いかん)せん、松吉といると色恋の話をするのさえ気をつかう。いってみれば年の離れた弟を連れて歩いているようなものなのだ。その上、浮いた話でもしようものなら、その日のうちに誠衛門の耳に入ってしまう。ついには、
「三國屋の若旦那は女子(おなご)に興味がない」
などと噂されてしまう始末だ。
「若旦さん」
「なんだい」
「先ほどから多賀美(たがみ)屋さんがお待ちかねです」
多賀美屋ときいて、瞬は表情をくもらせた。
多賀美屋は近くで両替商を営んでいる。三十代半ばにして、すでに頭が禿(は)げ上がっており、一見、たこ入道のように見える。いつも屈強そうな用心棒を従えており、でっぷりとした体つきで、しゃなりと内股(うちまた)で歩く姿は出来のわるい「からくり人形」をおもわせる。じつはこの多賀美屋、男色の気があるともっぱらの噂だった。いや、噂どおりであることは承知している。かくいう瞬も、いくどとなく体を触られている。松吉においても同様で、いつだったか、抱きつかれた松吉が怖いと泣き出したことがある。それ以来、さすがに松吉には手を出さなくなった。
こんなこともあり、一度、誠衛門に苦情をいったことがあるのだが、
「触られるぐらい、いいじゃないか」
と、逆にたしなめられた。
「女ならともかく減るもんじゃなし」
という、いかにも世俗的な反応だ。多賀美屋は上得意なので誠衛門にしてみれば当然の「ご奉仕」ぐらいに考えているのだろう。
匂いでも嗅ぎつけたかのように多賀美屋の猫なで声が背後から聞こえてきた。同時に、さらりと背中を撫でてくる。瞬は悪寒(おかん)に身を強張(こわば)らせた。
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