三國屋物語 第57話
「あの……」
「なんだ」
「水戸へは、いつお帰りになられるのでございましょうか」
「なんだ、やぶからぼうに」
「お帰りの際は、ちゃんと教えていただけるのでしょうか。それとも、言葉すらいただけないのでしょうか」
篠塚が目をしばたかせる。瞬の言葉の意味を図りかねているようだった。
「こたびの上洛、お仕事のためだということは重々承知しております。とはもうしましても、わたくしも人の子。突然、何もいわず去ってしまわれましたら心が痛むと申しますか……淋しいと申しますか……」
どうしたのだろう、昂(たか)ぶった感情が言葉となり口からこぼれでる。だが違う。こんな事がききたいのではない。本当は別れという言葉すら口にしたくない。ずっと傍に居て欲しい。手放したくない。これがいかに身勝手で愚かな考えであるか承知している。それでもあきらめきれない。一縷(いちる)の望みにすがりつきたくなる。
わたしは、いつからこんな……。
物心ついた頃から見よう見まねで接客をしてきた。こと商売において、相手がどのような年代であろうと会話に苦労をしたことはない。都の商人(あきんど)という自負もある。なので、今この瞬間まで自分は思慮分別のある人間だと信じて疑わなかった。
考えてみれば、これまで相手に合わせて会話をしてきたにすぎない。自分の気持ちを伝える話術を瞬はまだ知らなかったのだ。
瞬は、
「すみません」
と、いうと、恥じ入るように背を丸めた。
篠塚は軽蔑するだろうか。それとも、おかしなやつだと笑い飛ばすだろうか。
「あの……」
「ちゃんと伝える。黙って去ったりしない」
篠塚が真顔で、きっぱりと答えてきた。
「あ……」
「安心したか」
我にもなく取り乱してしまった。篠塚のこととなると、どうしてこうも心が動揺してしまうのだろう。
最初は、ただ珍しいだけだった……。
刷(す)り上ったばかりの瓦版(かわらばん)に群がる野次馬とおなじだ。好奇心に急き立てられるようにして篠塚という存在に手をのばした。世間(せけん)話に流行(はや)り廃(すた)りがあるように、いつか篠塚も自身の中で過去の流行りとなる。そんな確信が心のどこかに存った。なのにどうしたことだろう。知れば知るほどのめりこんでいく。どうしようもなく篠塚という人間に惹かれてしまう。男同士の情交が、さほど珍しいわけではない。事実、そのような話しも耳にはいってくるわけで、若い男、とりわけ十代の頃はそういった傾向に走りやすいと誰かにきいたことがある。それでも自分は違う。そうおもっていた。
「瞬ちゃん」
きき慣れた、だみ声がきこえてきた。みると多賀美屋が用心棒を従え近づいてくるところだった。
舌打ちがきこえてきて篠塚が逃げるように奥へと引っ込んだ。多賀美(たがみ)屋が名残惜(なごりお)しそうに篠塚の背中を目で追う。瞬は苦笑すると、どこか救われた気がして多賀美屋に頭をさげた。
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