一昨日、やっと提出しました。


書類を産院に取り寄せたのは2月頭。


そこから今の病院で書類を作成してもらい、その書類を受け取ったのは4月の上旬頃だったような。



私がやらないといけないのは、2枚の同意書みたいなものに署名するのと、母子手帳のコピーと産科医医療補償制度に加入した際の控えの紙をコピーして、病院で書いてもらった書類の5つをまとめて、それを産院に送り返す事。


それだけで終わる作業ではあるのだけれど、私は産院の理事長宛に手紙を添えたかった。



これに時間がかかった。



あの日の事を思い出して、振り返って、文字を綴る作業は思った以上に精神的苦痛を伴った。



面会の帰りに「今日こそは手紙かくぞ。」と意気込むのだけれど、内容を考えていると涙が溢れて止まらない。



そして、筆が進まない。



毎日それの繰り返しで、ずっと書けなかった。


こんなにしんどいし、絶対にやらないといけない事でもないし、ふと、もうこんなに辛いし、手紙なんて添えずこのまま提出しようかな・・と何度もよぎったけれど、なんだかそれは絶対ダメな気がして、踏ん張った。



産院に思う事はもちろん、色々ある。




色々あるけれど、色々悔やんだり憎んだりしてもウキちゃんが元気になる訳ではない。




そして、人を嫌いになったり憎んだりして生きていくのは、とてもしんどい。




そして前を向いて生きていくんだと決めたからには、私は当時の事も「これが最善で最良の結果だったんだ」と思いたかった。




産院の先生は最善を尽くしてくれたんだと思う為に、原因分析では誠意を持って向き合ってほしいと思った。




ただの紙切れの作業の仕事にさせたくなかった。




絶対に。



この紙切れの仕事の背景にはひとつの命が犠牲になって、そしてその命は今も一生懸命生きている事をキチンとわかって向き合ってほしかった。




その為に私は手紙を書いた。




自分の思いの丈をすべて吐きたいわけじゃない。


もちろん手紙の内容に嘘はひとつもない。


すべて真実。心から思っていること。






手紙の目的は誠意を持って向き合ってもらう為。




ただただ、この想いに尽きる。




そして、ひとまず手紙を書き終えた。




病院のソーシャルワーカーさんに一度読んでみてほしいとお願いした。


事前にこういう想いで手紙を書こうと思うとはソーシャルワーカーさんに相談していて、その方もすごく信頼できる素晴らしい方で、「私でいいの?・・」と言って、すぐにその手紙を読んでくれた。



読み終えて「・・いいと思うよ。^ ^」と言ってくださった。



「正直、どんな内容の手紙を書いたとしても心に響く人は響くし、響かない人は響かない。
それは手紙の内容というより、その先生の人間性だと思う」と。


「でも、この添えられている写真もウキちゃんを囲んでの素敵な写真ばかりでチョイスがいいね。

産院の先生は、ウキちゃんに限らず何か問題が起きたらすぐに搬送して、その後どうなったのかという成長を見る機会がたぶん少ないはずだから、こうして今こんな風に頑張ってるよ。こんなに大きくなったんだな‥っていう写真を見るのは嬉しいと思う。
先生たちにとってもやっぱり重い記憶としてはあるだろうから、この写真みたら少しほっこりした気持ちになって、誠意もって向き合ってくれたらいいね。」


と言ってくださった。



私もすごくその言葉は同感で、産院の先生がどう思うのかは本当にわからない。


響かない人は響かないだろう。


でも相手も人間だから。


心がある。



手紙を読んで、写真を見たら、もしかしたら心が動くかもしれない。


動かないかもしれないけど。 


でも、何もしないよりは動く可能性がある。




ウキちゃんは自分で訴える事が出来ないから、それは代わりに私がするしかないから。


自分にできる事はとりあえずやりたかったから、そう言ってもらえてよし、提出しよう。と力をもらえた。


そして一昨日に送った。


翌日、産院の事務の方からすぐに連絡があって
「書類確かに受け取りました。ここからこちらでまた書類を作成し、産科医療補償制度の方へお送りさせて頂きます。また理事長宛への封筒も確かに受け取りましたので、理事長にお渡しします。」と。


だから、これでたぶん手に渡ったと思う。


書く作業は辛かったけれど、たくさん向き合って、また少し消化できたような気持ちでもあったりする。



まだ何も始まってないんだけど。



目の前で起きている事は常に最善で最良なんだよ。



私はそう思って、これからも生きていきたい。




















▪️▪️▪️以下は産院へ送った手紙の内容です▪️▪️▪️

こんにちは。
ご無沙汰しております。
去年の7月18日、緊急帝王切開にて誕生した◯◯ウキの母の◯◯ミサコです。

今回、産科医療保証制度の手続きを行うに至り、出産当時の事を思い出し、改めて今の気持ちをお伝えしたいと思いお手紙を書かせて頂きました。


娘はあの日、貴院で産まれて◯◯病院に緊急搬送され、4月18日で9ヶ月を迎えました。現在も小児病棟に入院中で、産後から毎日病院に通う日々を送っています。


◯◯◯病院での主治医、小児病棟の看護師さん、病院のケースワーカーさんにはとてもよくして頂き、今こうして私たち家族が現実を受け入れて前を向いて過ごせているのも、その方々の支えがあるからです。


娘はあれから、幾度となく命の危険に晒されながらも、持ち前の生命力の強さで持ち堪えてくれて、毎日、今を精一杯生きています。


思いもよらないまさかの事態になってしまったあの日。産まれる3時間前には病院に着いていたのに。心拍が高いという彼女なりの苦しいのサインはあったのに。

どうして、娘はこうなってしまったのか。

どうして助けてもらえなかったのか。

今もあの日の事を思い出すと、悔しくてたまりません。


今、こうして文字を綴るだけで昨日の事のようにあの日の光景が蘇り、涙が溢れます。


これは私が死ぬまでずっと続くんだと思います。


産後すぐに搬送され、◯◯◯病院で低体温療法を受けました。
その後、MRIの検査を受け、結果説明を受けました。


【今後は人工呼吸器が必要で、口から食べることも飲む事もできません。歩く事も、話す事もできません。】


当時お話を聞いた後、医療はこんなにも残酷なんだと思いました。


医療の介入により、娘を生かしてしまったせいで、こんな状態で生き続けてしまう事になってしまい、娘に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。


医療は残酷だ。当時の率直な想いです。



けれど、あれから9ヶ月間、娘と過ごし、様々な感情になりながらも、揺らがない気持ちがあることに気づく事ができました。



それは私たち家族にとってはあの日、娘が息を吹き返してくれて本当に良かった。という事。



あの日、産院の先生方の懸命な蘇生処置によって、こうして息を吹き返してくれて、私は柔らかくて温かい娘を抱っこする事ができました。


頬を触ったり、手を握ったり。


可愛らしい頭をなでなでして、温かいお湯につけてお風呂に入れて、小さなベビー服を着せて。


それは普通の育児と変わらないとてもとても、幸せな時間です。



今も毎日、娘が愛おしいです。


娘にとって‥と考えると、息を吹き返した事が良かったのかは正直、今もわかりません。


でも、あのまま死産になっていたら‥と考えると、この9ヶ月間一緒に過ごした時間も何も無かったんだと思うと、本当に怖いし、今こうして生きてくれてるからこそ感じれる幸せがあります。


あの時、諦めずに蘇生して命を繋いでくださって本当に、ありがとうございました。


あの時の赤ちゃんは、今も頑張って生きています。


そして今回、産科医医療補償制度の申請にあたり、原因分析が行われるかと思います。


振り返ると、前日の検診でもNSTでも心拍がなかなか取れず、アラームがなって‥を何度も繰り返しました。


出産直前のエコーでも、娘は少なからず、しんどいサインを出していました。


どれも「こういった事はよくある事だから。」と言って、問題視されませんでした。
 

今回の娘の事も、
「そう滅多にあることではないから。」と言って、この事故に向き合って頂けるのだろうか。と、不安を感じます。


確かに、よくある事ではないかもしれません。

たまたま、とても運が悪かったのかもしれません。


でも、今回の事故によって少なからず明るい未来を閉ざされた命があります。家族がいます。


そして、その時の貴院の判断によっては未来が変わっていた可能性もあります。


どうか、今回の事を「運が悪かった。」で終わらさず、誠意あるご対応で原因分析に努めて頂けることを望みます。


誠意をもって、向き合って考えて頂ける事が、娘の命は意味があったんだ、娘の命は無駄じゃなかったんだと。

娘はもちろん、私たち家族にとっても救われます。


どうか娘と同じような苦しいお産がひとつでも減り、元気に産まれてくる赤ちゃんばかりでありますようにと、心から切に願っています。



最後に、今日までの娘の写真を同封させて頂きます。


良ければ、あの日のお産に関わってくださった医師、助産師さん、看護師さんの方にも見せて頂けると嬉しいです。


あの時の赤ちゃんは今日も頑張って生きています。

本当に愛おしい可愛らしい娘です。


末筆ではございますが、皆様のご健康が守られますよう心よりお祈り申し上げます。