今日はぽかぽかあったかいですね。


花粉症には厳しい時期ですが
それでも確かに季節は変わりつつあり
現実を超えて本能がうずうずしています。



意識とは関係なく何かを芽吹かそうとする
それがやはり、春という季節、なのでしょうね。




こんにちは。
「こころを言葉に」「伝えたい」を伝えるあぶくです。





昨夜から今朝にかけて
あらためて両親のありがたさを痛感する出来事がありました。



好き放題に我侭に生きてきたのに。
心配も迷惑も人一倍かけてきたのに。
願うような娘にちっともなれていないのに。
これでもかってくらい親不孝ばっかりしてきたのに。


それでもそんな娘を
海より深く、空より果てしなく、愛してくれて
いつも、どんなときも、一番近くで支えてくれて・・



その強く甘やかなやさしさに
この人たちの子どもで本当によかったって
この家に生まれてひどく幸せだって

あらためて、そう、思いました。



こんな・・こんなにもできの悪い娘を
これほどまでに愛してくれて


ありがとうって・・・






両親の無償の愛情に溺れ、甘えてきたことを
この歳になるまで本当の意味で理解できなかったなんて・・
恥ずかしいし、ほんと情けない。




だけど・・・



いつか、子どもができたとき
自分がもらってきたこぼれるほどの愛情を
その背中に教えられてきたことを
おんなじように与えられるような
大きくて、強くて、やさしいひとに、なりたい。





人一倍愛情の深い両親に育ててもらったからこそ
あぶくはいろんな人にかわいがってもらえるんだと思う。



それはあぶくの人徳だ、って
みんなは言ってくれるけど、そうじゃない。


祖父母や両親が積んできた数多の徳があるから
あぶくはその恩恵を受けられる。






自分の子孫のために
この人生でどれだけの徳が積めるだろう。

まだままだちっとも足りないけれど
自分が受けている分くらいは
ちゃんと遺していける生き方をしていきたい。






親はやっぱり偉大すぎて
いつまで経っても越えられそうにないなぁ~





なんて、そんなことをしみじみ思った期末。




今、この時期に、そんな出来事が起こったのも
来期に向けての何かのメッセージなのかもしれないな~










あと数日で4月ですね。

今年は12年ぶりに春一番が吹かなかったのだとか。
ちなみにオリンピックイヤーに当たることが多いそう。

春一番が吹かない年は
雹が降ったり、激しい雷雨や豪雨に見舞われたり
天候がかなり激しく荒れるみたいなので
各々が意識を持って気をつけたいものですね。





こんばんは。
「こころを言葉に」「伝えたい」を伝えるあぶくです。








皆さんは、座右の銘とかありますか?



座右の銘、とまではいかなくても
好きな言葉、とかはあるかもしれませんね。






かくいうあぶくには
大好きで、かつ人生の指針としている言葉が2つあります。




ひとつは・・



思いわずらうことなく愉しく生きよ。




ご存知の方もいるかもしれませんが
大好きで尊敬する、江國香織さんの著書タイトル、です。





「わずらうことなく」


というこのフレーズ。
なぜか、ひどく心を掴んだんですよね~






そして、独立して新たに加わったのが
今回のブログタイトルでもある




「虚心坦懐」。





なんのわだかまりもない素直な心で物事にのぞむこと。








人の想いを書き伝える仕事をしていると
虚心坦懐でいなければ正しい言葉は紡げない。





なんのわだかまりもなく
まっすぐ素直な心持ちで
目の前の人に対峙していくことで
心の奥底に眠る想いや言葉を見つけ出すことができる。



そしてそれを正しく描き出すことができる。







とはいえ

日々のなかで感情が波立ったり
素直になれなかったり
わだかまりという黒い塊が心に居座ったり・・

人間だから当たり前のように起こります。

それをダメなことだとは思っていません。




あぶくは決して強い人間ではないし
もちろん完璧な人間でもない。



自分の弱さや黒さはちゃんとわかっているし
そういう表裏のもとに自分自身が成り立っているから。






ただ、せめて・・


人の想いに触れ、それを描く存在として在るときだけは
仕事人として人や物事と向き合う時間だけは
フラットな、まっすぐな心で
固定概念や理屈を通らない素直な心でありたい。







きっと、習慣なんだと思うんです。




朝起きたら歯を磨き顔を洗うように・・
お腹がすいたらご飯を食べるように・・
目的地に行くためには歩を踏み出すように・・


子どものころはできなかったことも
それを繰り返すなかで当たり前になっていったように・・



最初は意識しないとできないけれど
それが習慣にさえなれば・・・




無意識にそう在れるんだろうな~って。






まだまだ、無意識の習慣にはなっていないから
常に意識してリセットしなきゃいけないけれど
だからこそ、こころの傍らにこの言葉を置き
人生の指針として寄り添いながら過ごしているのだと思います。







虚心坦懐。



なんのわだかまりもなく素直な心で物事にのぞむこと。










そういう人になれたら
きっと思い描く未来の自分に近づける。



そういう人になれたら
きっと、もっと強く、優しくあれる。








あぶくはそんな存在でありたい。

そして、そんな安らかな書き手で、あり続けたい。














明日は2番目の甥っ子の保育園の卒園式。
まだまだ小さいと思っていた彼も来月からは小学生。


知らない間にいろんなことができるようになっていて
気づいたら自己主張と思いやりの間をしっかり歩んでいて
ちゃんと、確かに、成長を続けている。



かわいいだけだった姿から
男の子らしい強さと逞しさが生まれたその佇まいに
うれしさと同時にかすかな寂しさも感じます。





こんばんは。
「こころを言葉に」「伝えたい」を伝えるあぶくです。




最近、自身と向き合うなかで
あらためて深く思ったことがあります。




歳を重ねるごとに数多の経験を積み
それによって体内には、当たり前、が蓄積されていきます。


それはときに大きな力となって自身を助けてくれるけれど
些細なことへの感謝を薄めてしまうことにもなる。




当たり前すぎてわからなくなっていること。
当たり前すぎてときに煩わしくなること。

そんなものが日常にはたくさんあって
でも、何ひとつ当たり前のことなんてなくて。
そのひとつひとつは、果てしなく尊いものです。



そしてそれは
どんなときもとびきり強くて
泣きたくなるくらいあたたかで、ひどくやさしい。







変わらない日常があること。


神秘的な天使の梯子を
木々からこぼれるきらきらした陽光を
愛する人たちを、この世に存在するさまざまなものを
この目で見て、この肌で感じて、この手で触れられること。


そしてその感動や想い、
自らの心を言葉にして伝えられること。


行きたい場所に行き、したいことができ
会いたい人に会えること。


何があっても傍で支え助け
自分をまっすぐに信じてくれる人がいること。





そのすべては
決して当たり前のことじゃないんだってことを
それはとても恵まれているのだということを
今、あらためて感じています。




そんな大切なことを思い出させてくれて・・
当たり前でいてくれて・・
当たり前だと思わせてくれて・・
いつも変わらず共に在ってくれて・・・



ありがとう。ほんとうに。




言えなかった分だけ。
伝えたかった想いだけ。



こぼれ落ちる「ありがとう」を
今、自らを取り巻くすべてのものに伝えたい。







自分でも驚くほど、強く、深く



そんな想いに全身が貫かれて



ひどく胸がドキドキしているこのごろ。







何かが、静かに、でも大きく
変わっていく予兆かもしれないなぁ・・・