胆振東部地震から3年 | みさっちの備忘録

みさっちの備忘録

2010年9月、CIDP発病。
(2023年4月現在、9年寛解継続中)
2013年4月乳ガン告知、左乳房全摘出手術&腋かリンパ節郭清。三大治療、ゾラデックス5年終了、ホルモン療法9年目突入。
2022年2月、子宮全摘出術。
高3娘、中2息子。

今日は北海道胆振東部地震がおきた日です。


平成30年9月6日、午前3時過ぎ、震度7

ものすごい揺れで、家族一斉に飛び起きた。

電気をつけてもつかないえーん

TVもつかない。停電だ。



急いでランタンとロウソクに火を灯し明るくなるまで待った。


私の車に行きエンジンをかけ、テレビを見ると、いろんな情報が錯綜していてわけわかんないアセアセ


日が明けると共に、娘とコンビニに向かったが、信号は点いてない、途中の踏切は遮断機が下りっぱなし、警笛が鳴りっぱなし。

なんとか遠回りをして跨線橋を通りコンビニに行くも、駐車場は爆混み、店内は電気もなく薄暗い中、たくさんの人が並んでいる。

そして、商品がほとんどないもやもや

とりあえず、残っている物手当たり次第、パンや飲み物、水、レトルト食品を数点購入して帰宅。


小学校、中学校の先生たちがそれぞれ安否確認に来た。

ある程度震源地に近い我が家は、札幌の友達からはもちろん、道外の友人からも心配して連絡をくれました。


北海道内は殆どが停電していたけど、本州は普通に北海道のニュースをリアルタイムで観れていたから、他の地域の状況も教えてもらったり、車のテレビで確認していました。


幸い、6日の真夜中に通電したと友人から教えてもらい一安心。

でも実家は3日間電気のない生活だったみたいです。


丁度、前日の5日に母が肩の鍵盤断裂の手術をした直後でした。

実家には兄と父だけ。

後日、家や物置にある冷凍庫のものが全て溶けてしまったので、使えるものはおかずを作り、ダメになってしまったものは捨てる作業をしてきました。


やはり酷かったのは、安平町。

今日も朝から安平の地震の爪跡が、まだまだ残っている現地を中継していました。

ご遺族の方のお話を聞いているといたたまれないですね。


しばらく余震も続いて、揺れで目覚める事も度々あったけど、あの日以来大きいのは体験していません。

でも、またいつ来るか。

自然災害というのは、どれをとっても、予測不能で、怖い。


でも、あの日を教訓に日々を過ごしていきたいと思います。




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こんな悲しい日のブログには不謹慎ですが、最近一、爆笑した話許されますかね?・・タラー


今日、夫が糖尿の定期診察に行った時の話。


採血時

看護師(以下、看)、夫の腕を見て

「うわー、すごい太い腕で、がっちりしてますね。血管もすぐわかる。何かスポーツしてるんですか?」


夫「あー、サーフィンくらいかなガーン

 (どの口が言った?ガーン


看「凄いですね!、だから陽に焼けて黒いんですね。」

(ただのトラック野郎だから焼けてますウシシ


看護師さん興味深々の後


夫「ネットサーフィンだけどね」


って言ったら、隣で採血していたおっさんが

   ぶふぁっ!


って吹き出したそうですゲラゲラゲラゲラゲラゲラ


「あのおっさん、人の話盗み聞きしてやがった」って帰ってきました。


私はかなり長い時間思い出して、一人大爆笑してました。



こんな時に書く内容でないことは承知していますが、暗くなり過ぎても、、すみません💦