リコの歴史の授業である課題が出てました。

提出期限は3週間も先なんですが、再来週にリコ達10年生は南フランスに1週間の遠足を控えているので、この課題はこのイースター休暇中に終わらせたいところ。

 

その課題というのが、「DDR(旧東ドイツ)時代の話を聞いてダイヤログ形式などでまとめる」という物。

私達が住んでいる地方はDDRです。

ここで学ぶ生徒ならではの課題ですね。

 

話をきく対象は60歳以上の人っていうことでした。

話のテーマは学校のこと、仕事の事、日常の事なんでもOK。

いくつか項目があって、それぞれに配点があり、成績に関係する点数がつくので、しっかりとまとめたい。

 

多分殆どの生徒が、おじいちゃん&おばあちゃんに話を聞くのでしょう。

うちはそうもいかないし、誰にきこうか。

一番に私の頭に浮かんできたのが、私の元ホストファミリー。

彼女に聞くことにしました。

 

リコは早速沢山の質問を用意しました。

私は彼女にWhatsAppで、「リコの歴史の宿題を手伝ってくれないか?」とお願いしたところ、「喜んで!」とすぐに返答がありました。

そこでリコに私の携帯を渡し、リコが質問を次々入力し、彼女が答えていたのですが、あまりに沢山の質問だったので、メールの方がいいよね、ってことで、メールで質問を送り、それに答え、返信してもらいました。

 

 

どの質問にもとっても丁寧に答えてくれてました。

有難いです。

 

私は大昔、彼女夫婦と約1年一緒に住んだのですが、当時よくDDRのことを聞いていました。

なので殆どは既に聞いた事がある内容です。

でも改めて読むと、なかなか興味深いんです。

 

彼らは東西ドイツが統一する少し前に西側に合法的に行きました。

当時二人には子供がまだいなかったので、夫婦そろって旅行などで西側に行くことは許されません。

子供がいれば、子供を担保(人質)に西へ行くことの許可が下りたそうですが、いなかった二人は、彼らの一戸建ての家を担保に申請しました。

それで政府から許可がおり、Stuttgart(西側の町)に住む彼女のおばあちゃんやおばさんの誕生日を祝いに行くことになったのです。

 

二人は東に戻るつもりはなく、そのまま西側にとどまったのです。

もちろん政府は彼らの家を没収しました。(東西が統一した後、家は彼らに返されました)

 

今回の質問の回答には書いていない内容ですが、私と一緒に住んでいた時、その頃の話をよく聞きました。

彼女は戻らないつもりで西に行きましたが、その事をもちろんみんなに話せません。

職場でも誰が政府の手下かわからないからです。

会社には普通に休暇届けを出しましたが、一番仲が良かった同僚にだけ真実を言ったそうです。

こっそり隠れて二人で泣いて抱き合って別れの挨拶をしたそうです。

 

彼女の親は戻らない事を知っていました。

ダンナの方の親は知らせないで行きました。

なぜなら、彼の親は息子に会えなくなるかもとの悲しみから、政府に息子たちが戻らない事を密告しちゃうんじゃないかと恐れたからです。

 

政府に取られちゃう予定の一軒家は、夜中こっそりと大切な物を実家に移したそうです。

 

彼女のおばあちゃんやおばさんはかなり裕福な方々で、二人にマンション、車、仕事など用意してくれました。

そんな状態で西側で新しい生活が始まってまもなく、壁が崩壊し、東西が統一しました。

その数年後、私はドイツ留学をし、彼女たちの家に住むことになったのです。

 

現在彼らは故郷に戻って住んでおり、それは偶然にも我が家から車で30分もかからない町です。

もう30年以上も彼らとは親戚のように付き合っています。

 

そんな彼女が今回リコの質問に答えてくれたのですが、例えばこんな感じです。

 

Wie war die Produktauswahl in der DDR im Vergleich zu heute?

 

Es gab nur Grundnahrungsmittel, Exportware für Stasimitglieder in Berlin

Wartezeit für einen PKW ca. 12 bis 17 Jahre

Farbfernseher 4000 DDR Mark bei einem Lohn von durchschnittlich 650 DDR Mark.

Alle beliebten Artikel nur mit D-Mark oder guten Beziehungen

 

リコが書いた質問:旧東ドイツでの製品の選択の状況は現在と比べてどうですか?

 

彼女の答え:当時は基本的な食材しかなく、ベルリンにはシュタージ達用の輸入品があった。自家用車は約12年から17年待たなくては手に入らなかった。平均月収が650東ドイツマルクに対し、カラーテレビは4000東ドイツマルクだった。すべて人気がある商品は西ドイツマルクもしくはコネが無いと手に入らなかった。

 

 

Was war ein typischer Luxus in der DDR und wie unterschied er sich von westlichem Luxus?

 

PKW , Urlaubsreise nach Bulgarien, Westkleidung, Farbfernseher, Videorecorder, Tropische Früchte, Kaffee und Schokolade aus BRD, Seife, Waschpulver .....

Und Baumaterialien jeglicher Art. Wir haben Fliesen und komplette Badausstattung aus der Tschechoslowakei geholt.

 

リコの質問:旧東ドイツの典型的な贅沢というのはどんな感じですか、西側との違いは?

 

彼女の答え:自家用車、ブルガリアへのバカンス、西側の衣類、カラーテレビ、ビデオレコーダー、トロピカルフルーツ、コーヒー、西ドイツのチョコレート、石鹸、洗剤・・・・

あらゆる種類の建築素材、私達は床素材やバスルーム一式の資材をチェコスロバキアから買ってきました。

 

こ~んな感じに日常生活の色々話を質問し、答えてもらいました。

この質問の答えじゃ分からないけど、すべての文章を読むと、いかにDDRが嫌だったか、とっても伝わってきます。

現在、DDRはそんなに悪くなかった、いいことも沢山あった、なんていう人達がいますが、彼女は東西統一前に西側に移り住んだだけあって、DDRを一言で言うと「Katastrophe」(大惨事、悲劇など)と言っています。

 

今それらをPCでまとめる作業をしているリコ。

 

リコのクラスメートの子達が、そうやって当時の事をおばあちゃんやおじいちゃんなんかに聞いてるわけですが、それぞれに色々な物語があるんだろうな、って思います。

 

私は彼女たちと住んでいた頃、DDRの話は興味深くてよく質問し聞いていました。

彼女が今回答えてくれた解答を見て、当時夜遅くまでそんな話をして盛り上がった事を思い出しました。