大阪城 ② 西の丸庭園 | 広く浅く楽しくゆっくりと

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一ヶ月程前に行った大阪城記事その➁です。

 

コロナの前の年の秋にもここの紅葉に行きました。

 

西の丸庭園

 

夜はイルミナージュが開催されてます。

私はまだ見た事無いですニコニコ

 

やっぱ前に行ったのは11月下旬だったので真っ盛りでしたが、

もう紅葉は終わってました爆笑

 

 

 

重要文化財 焔硝蔵

ネット情報↓↓↓

徳川幕府が、鉄砲や大砲に使用する焔硝(火薬)を保管した蔵で、

現在の焔硝蔵は貞享2年(1685年)に建造されたものです。

焔硝蔵はそれより以前にも大阪城内に数か所ありましたが、

青屋口にあった土蔵造りの焔硝蔵は万治3年(1660年)に落雷を受け、大爆発を起こしました。

また、別の場所にあった半地下式の焔硝蔵も部材の腐食による立て直しが度々行われるなど、

幕府は焔硝の有効な保管方法に苦慮していました。

その課題を克服するべく、この焔硝蔵では耐火・耐久・防水に特に工夫がこらされ、

床・壁・天井・梁(はり)をすべて花崗岩にし、石壁の厚さは約2.4m、

屋根の下は土で固められています。

面積は171.9㎡、高さは5.4mで、このような石造りの火薬庫は日本では例がありません。

徳川時代の大坂城には、西日本の幕府の軍事拠点として、

焔硝以外にも大量の兵糧や武器武具が備蓄されていました。

 

 

 

 

迎賓館

 

ここも野鳥スポットみたいでバズーカ―みたいなカメラの人がいっぱいびっくり

 

 

 

 

ここも有名スポット

千貫櫓

ネット情報↓↓↓

千貫櫓は大阪城の大手口を守る重要な隅櫓の一つです。西側と南側は堀に面し、

大手門に向かう敵を側面から攻撃できます。

創建は徳川幕府により大坂城再築工事が開始された1620年(元和6年)。

戦後の解体修理の時に、墨書で「元和六年九月十三日御柱立つ」と

記された部材が見つかりました。

二ノ丸の北西部に位置する乾櫓と同様に大阪城最古の建造物で、

どちらも工事責任者は茶人で有名な小堀遠州(こぼりえんしゅう)です。

面積は1階217.26㎡、2階162.95㎡、高さは13.2m。

(埋め立てられて)具体的な場所は不明ですが豊臣秀吉築造の大坂城にも千貫櫓はあり、

またそれ以前の織田信長が大坂を領していた頃にも千貫櫓はありました。

織田信長がこの地にあった大坂(石山)本願寺を攻めた時に、

一つの隅櫓からの横矢に悩まされ「千貫文の銭を出しても奪い取りたい櫓だ」と兵士たちの間で噂されたという逸話が残っています。

 

 

大阪城を観光客目線で今回は紹介させて頂いてますニコニコ

よかったら続きも見て頂けたら嬉しいです。

 

ルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルン

関西なので、って言うか週末まで待っての遅めの昨日、やっと鏡開き

どんど焼きに正月飾りとかも持って行ってこれで完全に正月気分終了です。

ルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルン

 

 

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