2022.12月 大阪城 ① | 広く浅く楽しくゆっくりと

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一ケ月ほど前にすごく久しぶりに大阪城に行った時の記事です。

最後に行ったのはコロナが猛威を振るって街から人が1番消えてた頃でした。

外国人観光客どころか、散歩の人さえまばらでした。

 

なので、観光客が戻って来た今はどんな感じになってるか興味もあって

天気も良く暖かかったのでウォーキングも兼ねてです。

 

周辺はP代高いのでいつも電車で向かいます。

今回は初めて谷町四丁目駅から向かってみました。

 

お堀が本当に壮観です。

 

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大阪城(大阪城)は、天正11年(1583年)に当時天下統一を目指していた豊臣秀吉によって築かれたお城で、別称・錦城

きんじょうといいます。
現代は大阪城公園として整備されており、その一帯が「特別史跡大阪城跡」として国から指定されています。
大阪城跡内には国の重要文化財に指定されている建物が13棟あり、修復や再建を繰り返しながらも、長年に渡り保存されている重要な場所です。
実は大阪城には、「大阪城」と「大坂城」の2つの表記が存在することをご存知でしょうか?
「坂」という字は“坂を転げ落ちるようで縁起が悪い”“士が反するようで縁起が悪い”というような理由から、明治になって「阪」に統一されるようになったそうです。
そのため、明治以前では「大坂城」、明治以降は「大阪城」となっています。
現在の天守は、「大阪城」と呼ぶのがふさわしいでしょう。

 

大手門

朝、早いのに外国人観光客結構いらっしゃいました。

アジアの方が多かったです。

左側は西外濠(西外堀)で、右側は南外堀になります。

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城の正面を大手(追手[おって])と言い、その入り口を大手口(追手口)、 

設けられた門を大手門(追手門)と言います。

現存する大阪城の大手門は、

1628年(寛永5年)に徳川幕府により大坂城再築工事の時に創建されました。

正面左右の親柱の間に屋根を乗せ、

親柱のそれぞれ背後に立つ控え柱との間にも屋根を乗せた高麗門形式です。

屋根は本瓦葺で、扉や親柱を黒塗総鉄板張にしています。開口部の幅は5.5m、高さ7.1m。

親柱・控柱の下部はその後、腐食してしまったために、根継がほどこされています。

特に正面右側の控柱の継手は一見不可能にしか見えない技法が使われています。

 

 

大手口枡形の巨石

大阪城の巨石は本当に何度見ても圧巻です。

枡形とは城の主要な出入口に設けられた四角い区画のことで、敵の進入を食い止める役割を果たした。築城技術の進歩にともなって強固な石垣造りのものがあらわれ、大阪城の大手口枡形では城の威容を誇示する巨石が数多く使用されている。左端の建物は多聞櫓の渡櫓(重要文化財)。

 

 

 

こんなのに乗る人も一時は全く居なかったのに、ありがたい事です。

 

丁度いい感じに紅葉してた頃で綺麗でした。

 

 

観光客気分で今回は大阪城を紹介させていただきます爆  笑

続く・・