長岡天神 後編 | 広く浅く楽しくゆっくりと

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長岡天神の後編です。

 

およそ一ヶ月前に長岡京市に行った時の記事です。

 

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当天満宮の御鎮座地長岡は、菅原道真公が御生前に在原業平らと共に、 しばしば遊んで詩歌管弦を楽しまれた縁深いところであります。公が太宰府へ左遷された時、この地にお立ち寄りになり「我が魂長くこの地にとどまるべし」と名残を惜しまれた縁故によって、公御自作の木像をお祀りしたのが当神社の創立であります。創立年月は不明でございますが、応仁の乱で兵火に罹り社殿が消失し、明応7年(1498)に再建したとの記録がございます。
爾来皇室の崇敬篤く度々の御寄進御造営をうけ、寛永15年(1638)には八条宮智忠親王によって「八条が池」が築造されました。中堤両側に樹齢百数十年のきりしまつつじが多数植えられており、その見事さは我が国随一と言われ、花の季節には多くの観光客で賑わいます。

 社地は元10万余坪に亘って居りましたが、明治維新の変革に際し上地のため、現今は2万余坪を有しております。
現在の御社殿(御本殿、祝詞舎、透塀)は昭和16年に京都の平安神宮の御社殿を拝領移築したものであります。正面朱塗りの拝殿は既存の拝殿を増改築し、平成10年秋竣工いたしました。平成23年に御本殿が京都府の有形文化財にまた、平成24年に祝詞舎(弊殿)、透塀、手水舎(旧幣殿)等が長岡京市の有形文化財にそれぞれ指定されました。

 

酒樽奉献舎

本殿手前の石段下に左右6㍍、天地5㍍、北山丸太の柱、

銅板葺きの屋根で50丁の飾樽が奉献できる奉献舎があり、

京都を始め全国の有名な酒造会社の銘酒樽が奉納されています。

 又毎年4月末には、献酒祭が行われています。

 

手水舎

 

天神さんなのでもちろん牛さん牛しっぽ牛からだ牛あたま

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菅公は仁明天皇の御宇、承和12年(845)乙丑6月25日すなわち丑年のご生誕であり、貞観元年己卯 月2月乙丑、ご元服の当夜、白牛が角をくじいて死ぬ悪夢を見られ、たいそう気にされて自ら牛を画き、 お酒を供えてご尊拝せられたということです。

寛平5年、癸丑の9月、公は北山に茸狩りの宴を催されましたが、いずこからともなく小牛が宴席近く寄り、頭を垂れていかにも公を敬うがごとくでありましたので、公はたいそうお喜びになって御館に連れて 帰り、お可愛がりになりました。

又、菅公が太宰府にご左遷の御時、道明寺から、こもやの里まで落ちゆかれる途中、時平の命を受けた笠原宿禰等が後を追って切りかかり、お命危うく見えたとき、松原の中から荒れ狂った白牛が飛び出て、宿 禰の腹を突き刺しました。よくご覧になると公が都でご愛育になった牛でありました。公は「都にて流罪 極る前夜、不思議に 逃げ去って姿を隠し、度々に凶非を告げ、今また此の危難を助けし忠義の牛、筑紫ま で伴わん」と涙を流 してお喜びになりました。これにより牛にお乗りになって、御心安らかに旅立たれた のであります。そしてこの太宰府の地においてひたすらに謹慎の意を表されておりましたが、延喜3年(903)2月25日の丑の日に薨去されました。由来、全国の天満宮には牛の像が数多く奉納されているのであります。

 

境内も紅葉が綺麗でした。

 

社殿

 

 

大好きなお稲荷さんもありました。

 

白梅殿から前記事の紅葉庭園を見た景色です。

 

最後に、境内にお食事処を発見しました。

次回、ここへキリシマツツジ見に来た時はここでランチしてもいいかなウインク

 

最後に正面大鳥居

長岡天満宮の入り口正面にそびえる、総御影石製の大鳥居は、

平成14年の菅公御神忌1100年大萬燈祭を奉賛して、平成10年10月に奉納され、

近隣でも数少ない石の大鳥居です。

総高9.75m、笠木 12m、総重量50トンにもなります。

 

長岡天神記事にお付き合い下さりありがとうございましたお願い