夜回り先生の本です。

結構好きでした、なぜか過去形ですが^^;

 

「いいもんだよ、生きるって」

私にこの言葉は響かないのです。

 

「生きててくれてありがとう」・・・別に礼を言われることはしてないなと。

ひねくれてますね、私。

 

結局ね、自分を助けてくれる人、この人のためにいきたい(いきなきゃ)と思えるような人やモノ、ことがないとね・・・死にたいと思える人は生きにくいのよ。

いい人に巡り合えないとね、そしてこの人のために生きたいと思える出会いがないとね・・・。

いまだに私は死にたいと思ってしまう人。

いってもアラフィフよ?

この人からしたら、若者には生きてほしい、生きてくれてありがとうであって、私のような中年には言わないのかもしれないけどさ。

 

ずっとね、何のために生きてるのかわからないというか、つらいと思いながら死ぬ勇気もなくて生きてしまってる私はね・・・いいもんとおもえないんだよ、この世の中。

 

これからの世の中、若者も私の世代の中年も、もっと上の老齢世代も・・・生きにくいよ。

それでも死ぬために生かされてるんだし、生きてるんだからせめて自分で楽しまなきゃと必死に何かやってるんだよね。

でもそんな中でも否定されたりしたらさ、つらいんだよね。

そこでちょっとでも、隙間に入って陶酔させてくれたら・・・なびくよね?!その人のために何か私もできるかも、みたいな気持ちにもなるよね。

それがいい人かそうじゃない人か、それがあるかないか、だよね。

 

そのいい人の一人になりたいと踏ん張る夜回り先生は確かにすごいかもしれないけど、ティーンにだけなんだよね、そういう中で生きてきて今親になった世代は自分で何とかしなきゃいけない。

私みたいに子供ができたからその責任で頑張る人もいるだろうけど、パートナーが気づき協力してくれる人、支えてくれる人でないとやっぱりつらいんだよね。

そういうパートナーがいても、一人だなと感じる人間には誰がサポートしてくれるんだろう?!

そら、夜回り先生にすべての人のサポートをお願いするのは酷だけど。

 

シンナーの少年にお前(水谷)の力では治せないんだ、病気なんだと自分で調べて治療したい、このようにしたいといったときに手を差し伸べずその子はなくなってしまった。

そういう自分の不利な部分というか、そういう部分も隠さずに罪を認めて書いておられる点は好きだし、こういう生き方私にはできないから尊敬もするんだけどね。

昔ほどの感情がないのはなぜなんだろう・・・。

HIVの少女のことなども書いていて、衰弱のリアルは、シンナーもそうだけど売春で性病感染というリアルを想像して、いやだと思ったらやめようと思うことはできるかもしれないなとおもいました。

 

とにかく薄い本でよみやすいし、印象的な少年少女のことが書かれていることでリアリティーから抑止できる子もいるかもしれないなとはおもいます。

鑑別所などで水谷先生の本は教科書かのようにおかれてたりするようなので、再発防止の何割かの貢献はそこそこかれてるのかしら。

 

少年少女の叫びも読み取れますし、心に響く内容ではあります。

素直に助けを求められる人はいいなぁ~、掬い取ってくれようとする人がいるっていうのもいいな~、でも生きることがいいものだとは、私には言い切れないなぁ。

そういう人に出会えてないからかなぁ。