最後がいいね。

被害者が加害者になってはダメだ・・・・

 

今の社会がそんな感じよね。

悲劇のヒロイン(被害者)がどれだけひどいことがあったか、どれだけ傷が深いのかを吹聴して、周りが同情し加害者になってくれていく。

でも、その被害者だった人もすでに加害者になってるんだよね。

 

たとえば「私はこの人たちにいじめられた」

いうのは悪くないかもしれない、そこに同情心からいろいろな人が加害者に周り攻撃するようになったら、その被害者もすでに加害者になっている構図は、この社会でさんざん見せつけられてきたものだ。

 

いかに人にうまく媚びるか、世論を巻き込んで加害者になった末路はどういうものになるのか。

罪を赦すこと・・・互いに超える壁がとても高いんだね。

 

この本の主人公は、両親が一家心中を図った際の生き残り。

親は最後の思い出にと家族旅行に行き、子供たちと夢のような時間を過ごす。

家に帰って最後の晩餐、そして就寝時に火をつけた・・・。

主人公は親に飲まされそうになる薬をすんでで飲まなかった、睡眠薬で眠ることができず、家の火事で起き、一人助かってしまう。

 

大人になり、逆の立場の女性と出会う。

一家心中を図った側の女性、唯一生き延びた母親の立場の女。

刑期を終え(仮出所?)出てきた女性に母の代わりの代用品として、自分の怒りの矛先を向けていたが、自殺を図ったその女性を助けてしまう。その償いというわけではないが、入院中の世話をすることで彼女の手紙を発見し、つい読んでしまい彼女とともに生き残った長女の所在が分かり、同士の彼女に会いたいと近づいていく。

 

同士と思って仲間になりたい彼女の娘の存在は主人公にとってどういうものになるのか。

そしてふとTVをみたとき両親に罵声を浴びせていた金融業の男性がうつっていて、一気に幼少期の記憶が鮮明になり、両親を殺したやつへと憎しみをもっていく主人公の心は救われるのか。

 

記入業の男が許せないとあることをしかけるさなか、彼女の娘が母と対決。

その場を見学した彼女の心は・・・

 

クライマックスに金融業社長と両親のいざこざの真実がわかります。。

憎しみが被害者から加害者になっていった主人公の心は最後どのように救われるのか。

 

自分の傷をいやしたくて、人に言いたくはなるけれど、どこまで他人にさらせば加害者側になってしまうのか。

やっぱり面と向かってその当人に怒りや傷を見せつけるしか術はないのかな。

それをしても救われないけど・・・

被害者と加害者は紙一重だ。