この日から1週間の間に
さらに3件のお誘いを受ける。



これはもう才能確定。笑



と書くと、
私ってとっても人気者、
みんなから好かれてるって思っているように読まれるかもしれないけど
そんなことはまったくなくて。


お誘いという社交辞令を言わせてしまうほど
私相手だと話題がないのだろうかとか、
同じ熱量で話せない自分に自己嫌悪とかで
ぺしゃんこになりそう(⁠ノ⁠-⁠ω⁠-⁠)ノ⁠




にりんそう咲いてたよ




実験94日目に、
お誘いは『私には合わない』という理由で断ってもいいと決めた。


次は、断るときにその言葉のままでは角が立つのではないかと悶々とする。
手持ちの日本語が少なすぎるのだ。


私と考え方が真逆の娘に聞いたら
悪魔のような笑みと例文しか返ってこず、
私に近い息子に聞いたら
我慢して参加しろと言う。


しまいには
『お姉ちゃんのアドバイスはお母さんができないものばかりで、なんのアドバイスにもなってない』と姉弟の討論になっていて、
『ごめん。自分でなんとか折り合いつけてやってみる』と振り出しに戻った。
姉弟のやり取りは勉強になったし、
それぞれの考え方を聞けて母はうれしかった。




グループLINEで、ひとの断り文句を探してみる。
こういうとき、メッセージが保存されてるってありがたい

何人かの『私から連絡するね(⁠。⁠•̀⁠ᴗ⁠-⁠)⁠✧』という
鮮やかなお返事が目に留まる。

なるほど。
これはよいフレーズだ。



しかしそのフレーズ、
私はなんの引っ掛かりもなく受け入れてきたけど、
自分が発するとなるとどうもモヤる。


私から連絡する未来が想像できないから
嘘ついてるようでイヤなんだ。




書いてて、ふと浮かんだ。
もっと長い目で見てもいいんじゃないか?



数ヶ月以内に誘わなきゃとか
お互いの状況が変わらないうちにとか思わずに、
数年後とか偶然の機会を想定してもいいんじゃないかって。



ここにも認知の歪みあり。
『仲良くしたいなら、数ヶ月以内に機会を作るべき』


いつから抱えてきた価値観だろう。
多分30年は抱えてると思う(^_^;)


これはもう義務感満載だし、せっかちだし、
全然楽しそうじゃない。


さらに言えば
誰とでも仲良くなんてできない。






好きなひとと仲良くはしたいけど、
そんなに密じゃなくていい。


『好きなひととなら、いつでも機会は作れる』

私の人間関係は、このくらいがいいかもしれない。