こんにちは。

俳句のみろく堂オッドアイ猫家登みろくです。

 

平成最後の昭和の日(中八下五でありそう…字余りだけど)ですね。

平成の締めくくりに「木霊」のブログを書き終えるぞ!ちょうちょ

という気持ちでPCを立ち上げました。

(でもなんとなくちょっと寂しい。

「木霊」はこれからも何度でも読もう。。。おすましペガサス

 

近況です。

 

 

 

 

 

さて、いよいよ「木霊」第5章、「星冴ゆる」です。

 

 

あぢさゐや十大弟子は頭寄せ

 

額を寄せ、一つの大輪のようにみせる紫陽花に、

仏の入滅に嘆き悲しむ弟子たちの様子が思い浮かびました。

 

けれど、舎利弗と目連は仏陀よりも先に亡くなっていますので

涅槃の際に取り囲んでいるのは十大弟子ではありませんね。

物理的に「頭を寄せ」ているのではなく、

説法を聞くために集まっているとか、

知恵を寄せ合っているという意味だと思います。

 

人間は猿と同様、群れて社会を作り、

個体の生存率を高めます。

そのために「孤独」という感情が芽生えたのだそうです。

 

十大弟子ならずとも、身を寄せ合い、知恵を寄せ合い

助け合っていきなさいという仏の教えのように思います。

 

 

 

寒禽や仏彫り出すチェーンソー

 

犬に仏性はあるのか?という問いに答えるような句だと思い

深く感動してしまいました。

木材を切ったり削ったりして仏を作るのではなく

すでに木の中におわす仏を彫り出す…

 

わたくし、寺に(ちょびっと)住み込んでいた経験から、

仏教の言葉をやたらに読み込んだような句は

敬遠してしまうのですが(みろく命名「ありがた俳句」)

まさ志さんの句はいつも素晴らしいのです…。

 

 

 

降り積みて落葉地球を太らせる


落葉がうず高く積もると、地球が一回り大きくなって
いよいよ深い冬に入ったような気持ちになりますね。
もちろん、日本の冬に世界が同様に冬であるわけではないのですが
「地球」と言い切った勢いことによって生まれたスケールにいたく感動しました。
 

 

 

「奈良文夫師逝去」

先生の巨き亡骸星冴ゆる

 

句集「木霊」の最後は、この句でした。

句会で、文夫さんが亡くなったと聞いて

時が止まってしまったような気持ちになり

その日の句会をぼんやりと過ごした覚えがあります。

 

放川さんの前の萬緑選者であった文夫さんは

背がとても高くて、ちょっと怖そうで、一言一言に重みがあり

恐れ多くてほとんどお話しすることができませんでした。

 

それでも若い私を気遣ってくださり、

代表を務める俳誌「群星」を毎号私に送ってくださっていました。

(今でも毎号送ってられてきます。文夫さんがそうするようにと

おっしゃってくれていたからだと伺っています。感謝。)

 

身長はもちろんお人柄も大きく、

萬緑にとってなくってはならない存在だった「巨きな星」は

いま、冴え冴えとした夜空に輝いています。

 

文夫さんがいなくなって心が少し寒いけれど

頭上の星がいつも私を見守ってくれていると信じて

前に進みたいと思います。

 

 

その他の句をご紹介。

 

しんそこの飢のありしよ薯植うる

蛇出づや頭に総身を従はせ

塊と咲き一ひらごとの落下かな

街に一つの湯屋の煙突つばめ来る

お日さまの細く差し入る巣箱かな

春の夜やホスピス一窓まだ光る

青芝を啄むやうに醜(しこ)を取る

遥か「天安門」角だせ槍だせ蝸牛

一茶句を兜太の快字小鳥来る

神々の綾取り遊び冬星座

 

あの時の吟行の句!とか

あの句会での句!と思い出すこと数多。

まさ志さんとの思い出が蘇ってくる、私にとっても大切な一冊となりました。

 

まさ志さん、素敵な句集をありがとうございました。

「土塊」「火群」「木霊」に続く「金」「水」も期待しております!

 

 

 

 

 

次回は令和一回目ですね。

先延ばしになっていた

伊藤伊那男さんの「然々と」を鑑賞したいと思います。

 

みろくでした三毛猫