ご無沙汰してます、

俳句のみろく堂オッドアイ猫家登みろくです~。

 

テレビで無事俳句が流れ、文フリが終わり…

 

しかし先延ばしにしていたアレコレがやってきて

いつものように突然に子猫を保護したり

仕事もいよいよ大忙しの中

風邪をひき…

 

なんやかんやで更新が久しぶりになってしまいました…。

 

11月12月って毎年そんな感じで

目標を見失ったり

ふわふわしたり

ドタバタして大事なことを忘れたりと

学習しないのですが

今年もそんなこんなしてるうちに師走…。

 

とりあえず、久しぶりの鑑賞です!

櫂未知子さんの句集「カムイ」の

第3章「海流」。

 

 

夕立や肌よりにほふ正露丸

 

夕立が来て、

目は雨に耳は雨音に奪われていると

そんな湿気の高い状態でも嗅覚を刺激するのは

「正露丸のにほひ」。とびきり異質な、あのにおいです。

これ、実際に体験されたことなら

すごい観察力・感性だなと思うし、

フィクションならフィクションで、

その発想力に圧倒されてしまいます。

「正露丸を詠んだら面白いかも」と思って

そこに「夕立」という季語を持ってくるのって

すごく難易度の高い仕事だと思います。

鑑賞して、ここに書くから「正露丸」と「夕立」の取り合わせもアリ、と

思うけれども、

自分なら絶対に思い浮かばない…。

「肌よりにほふ」も、なんとなく皆が知ってる感覚を捉えていてすごく上手い。

 

 

高原のポスト小さし夏休

 

吟行に行ったら、こういう景色があったので、

そのまま句にしました~という句は多くて

「う~ん、分かるけど、だから?」という言葉を飲み込むことも多いのですが

高原の(投函する方の)ポストが小さいのは、

その夏休みが短くて、利用する人が少ないからではないかなと

推測しました。

でも高原の、その短い夏が最高なんだよということを言っている。

見たままの景なんだけど、そこにちゃんと意図がある。

だからこの句はいいんだと、勝手に思っているのですが…

 

 

夕映えのかけらのメロン食ひにけり

おほぞらにあたためられて日向水

手袋を外す一樹に触るるため

ためらはず聖菓の上の家を食ぶ

 

素直でいいなあという句。

「夕映えのかけらのメロン」って、

夕張メロンの橙色でしょう。

熟れて、やわらかくて、美味しそうで、

大きな口で食べるのはちょっともったいないような。

 

クリスマスケーキの上のお菓子って、

たいして美味しくなかったりするんですけど、

あの砂糖菓子って魅力的なんですよね。

 

 

大人には玩具少なし黒ぶだう

 

子どもはなんにでも興味津々、

なんでもおもちゃにしてしまう。

一方、大人になると、もう何でも知っている気になって

面白がったり、はしゃいだりしなくなる。

大人って、つまんないよね。

分かってるんです、面白くないのは自分の内面のせい。

世界が変わったわけじゃないんだと。

黒葡萄の映すぼんやりとした世界を見つめ、

それを手ですこし転がしたりして、退屈を弄んでみる。

もう二度と子供には戻れないと

痛いほどわかっているアンニュイな感覚。

 

 

火事かしらあそこも地獄なのかしら

 

この句は口語です。

ふと心に浮かんだことを

ためらいもなく

そのまま記したような(あくあで「ような」)言葉。

家事になれば、そこは地獄に決まっているのですが

筆者が思い描く「地獄」とは何のことでしょう。

そして、それをさらりと言っている

このセリフの主は、どんな人なのでしょうか。

読み手が今置かれている立場ごとに

想像する「地獄」は異なるでしょう。

(きっと「天国」は似通っている。)

恐ろしい句なのに、つい脳裏に焼き付いて離れない

そんな句になりそうです。

 

 

次回は第4章「簡単」をお送りします。

あ~、あの句ですな!

みろくでした~黒猫