こんばんは!

俳句のみろく堂ですオッドアイ猫

 

間が開いてしまいました。

今日は敦賀恵子さんの句集「風の笛」鑑賞、最終回です。

今回は「Ⅳ 母 平成23年~27年」です。

 


この章、恵子さんのお母様がお亡くなりになられた際の

一連の句があり、

全体的に悲しさが漂っているように感じられました。

また、全体的にシンプルな写生句が目立ち、

言い知れない感情を景に委ねている様子がうかがえます。

 

春の闇三面鏡が怖くなり

幸不幸つながつてゐるさくらんぼ

白日傘近付いて来る騙しにくる

 

三面鏡を広げると、

普段自分が認識していない自分の顔を見つけてしまい、ドキッとするものです。

三面鏡の中に、何者かがうごめくような闇を見つけ、ふと怖くなる。

この恐ろしさ、子どもの頃に体験した方もいるでしょう。

鏡の中に閉じ込められていた闇とは、なんだったのでしょうか。

 

二つのさくらんぼの実が、枝で結ばれている。

その景を、幸不幸のバランスととらえました。

幸せと不幸せは切り離せない、良いこともあれば悪いこともある。

さくらんぼからは、「悪いことは続かないわよ」という恵子さんの明るさも感じられますが

やはりこの達観した視点の発見、なんとなく寂しさを覚えます。

 

白日傘が騙しに来るというのは

非常に斬新な視点に思います。

白日傘は清く、ピュアで、爽やかなイメージですから、

そこに続く「騙す」というブラックな表現に衝撃を受けました。

でも、巧妙化する詐欺への警鐘…というのはちょっとつまらない。

もしかすると、詐欺のような騙しではないのかもしれません。

疲弊した心に、その場しのぎのではあるけれど、

何かの夢を見せてくれる…そんな「幻影」のようなものではないかな…と。

 

 

われは我を荒使ひして小六月

先頭を信じきつたる蟻の列

限りなく雪の鎖の降りてくる

 

端々に、健気さゆえのこころの傷が見える句です。

自分を荒く使う、誰かを信じ切ってただ進む、雪の鎖…。

景にこころを投影する…とても俳句らしい句だと思います。

 

 

せはしなき扇子大事なこと言へぬ

耳打ちに苺の匂ひしていたり

口紅の濃さは淋しさ水引草

てんと虫わが痛点に止まりたる

 

こちらは季節感が効いているなあと思った句。

 

隣で扇子をやたらにパタパタされて、

言い出すべきことも言いにくいなってこと、ありますよね。

夏の蒸し暑さが、その気持ちをさらにもやもやとさせます。

 

苺を食べた後の手で、内緒話をされたのかもしれないし、

その話題が甘酸っぱいことの示唆なのかもしれません。

いづれにせよ、楽しそうな句。

 

最近は若い人の間で濃い口紅がはやっていますね。

意志の強さとともに、そうせざるを得ない寂しさをも感ます。

水引草は上から見ると赤く見え、下から見ると白く見えるため、

紅白の水引に見立ててそう呼ぶ草。

口紅の赤が強ければ、そのコントラストでもう一方も引き立ってしまうのです。

淋しさのように。

 

てんと虫が這う場所は、普段はとても痛む場所。

でも今は、なんだかくすぐったささえある。

日頃の痛みや辛さを忘れさせてくれるてんと虫の愛おしさ。

なんとなく、笑顔になってしまいますね。

 

 

蠅を打つ躍起となるは母のため

初夢の母まつすぐに我を見て

 

最後はお母様の句。

蠅を打つという滑稽な動作も、

横になっているお母様のためとなれば、

悲愴感がにじんできます。

 

そして、お亡くなりになった後のお母様が初夢に出てきて、

こちらを見ている。

これは一体、どんなメッセージなのでしょう…。

 

 

駆け足になりましたが、

以上で敦賀恵子さんの「風の笛」鑑賞は終わりです。

東奥文芸叢書のHPはこちら。

 

次回は後閑達夫さんの「母の手」を鑑賞いたします。

 

俳句のみろく堂でした!黒猫