ぼくは幼少期に、親や祖父から殴られたり、

汚い言葉で罵られたり、

狭い暗闇に閉じ込められたりした。

 

自分の記憶を巻き戻せるだけ、

巻き戻したところに、ある最悪の記憶は、

生後半年で父が他界し、

その後、母が自分を抱えて自殺しようとしているところである。

 

その記憶が自分の行動のトラウマになっているか?

といえば、

自分が遡れる範囲の出来事をトラウマとは呼べない感じがする。

 

トラウマとは、より根深く、脳みその奥のブラックボックスに巧妙に、隠された恐怖であり、

遡ることが不可能なくらいの異世界に隠蔽されている。

 

ただ、はっきりと、その恐怖の内容は理解できるようになった。

 

あらゆる場面で、自分というやつは「ひとりぼっち」になることを恐れているのだ。

 

虐待の記憶は、その恐怖からの回避イメージであり、

ひとりぼっちになる位ならば、罵られている方がマシであり、

殴られていることの方がマシであり、閉じ込められた方がマシで、抱えられて自殺未遂されている方がマシなのだ。

 

だってそれなら自分は被害者でいられる。

無力な赤ちゃん、無力な幼児が一方的に被害者でいられて、

自分は「ひとりぼっち」ではないと回避しボヤかし、

そして麻痺して うすらボケたまま成長せずに、

周囲の加害者に甘えていられると計算しているからだ。

 

被害者でいることによって、脳みそに過剰な緊張をあたえ、見る世界を自分の都合で歪めることができるからだ。

そうやって目先を誤魔化し、自分の中の「恐怖」という怪物を大きくすることができるからだ。

 

自分は長い間、怪物にのっとられ、怪物のために生きていたように思う。

生きていたというのは おこがましいな。

 

だって、そこには普通に生きている人が、明確に感じられるであろう?

「今と ここ」のない妄想に世界だったのだから。