小泉幸仁さんのセオリー
そだよねーと 思う方 多いのでは?
小泉さんの セオリーには、いつも感謝です。
可能性は、行き詰まりのなかにあります。
その理由は、なぜ行き詰まったと感じたのかという問いかけにあります。
行き詰まりと絶望は違います。
絶望とは、全ての気力を無くすことです。
しかし、行き詰まりは違います。
前に進もうともがいている!
他人はうまくやっているのに、自分一人がうまくいかない!
こうした進まんがための葛藤が、行き詰まりという人生の霧をつくっているのです。
ここで一つ、しっかりと理解しておかなければならないことがあります。
それは、霧は必ず晴れるということ。
永遠に勢力を増す霧などないからです。
霧が晴れれば、そこに広がる景色は絶景です。
行き詰まりという霧を通り抜ければ、人生という景色は絶景となって眼下に迫り、それまでの様々な出来事が見事なつながりを持って、自分という人間を成長させてくれたことに気がつくのです。
ですから、行き詰まりの正体は 「希望」です。
希望という命に備わる本質が、自らの人生の意味を分からせるために奏でた伴奏こそが、行き詰まりの正体だったのです。
やろうと決めたその事に、更なる高みを求めて厳しく対峙しようとしたから、行き詰まりを感じた!
なぜならば、戦う人にしか、行き詰まりという感覚が降りてくることはないからです。
これが、事の真相です。
ですから霧が出たときは、常にこう思いましょう。
行き詰まりは希望なのだ、と。
一時的な人生の霧に騙されてはいけません。
行き詰まりは、頑張っている者だけが感じる人生の勲章だからです。
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