HAPPY … 音楽にはできないこと  | 韓流とは何だったのか

韓流とは何だったのか

한류가 뭐길래?


ムカつく話ってのは
どこにだって付いて来るんだな

いいよ?オレに言っちゃえよ?
がまんしなくていいんだよ?

言っとくけどオレは何があっても平気だよ

お前をバカにしちゃいないけどさ、
時間のムダだからやめときな


"HAPPY" Pharrell Williams, 2014


今年最大のヒット曲と言えば、ファレル・ウィリアムスの「HAPPY」だろう。どこに行っても耳にする『本当』のヒット曲だ。R&Bラバーでもない私ですら、気が付くとこの歌を口ずさんでいたりする。

この曲のPVを真似たビデオも世界中で作られているが、先日ちょっと気になる記事を見つけた。日本の大学生が、中韓の友人とともにこのHAPPYを踊り歌ったビデオを作ったという記事だ。


HAPPY動画:日本と韓国、中国の若者が笑い踊る姿人気
(毎日新聞 2014年08月28日)
特定の民族や人種などに対する差別をあおるヘイトスピーチ(憎悪表現)にストップをかけようと、国同士の関係がきしむ日本と韓国、中国の若者が笑顔で踊り継ぐ動画「日中韓HAPPY」を立命館大文学部4年、冨田(とみた)すみれ子さん(22)が製作した。動画投稿サイト「ユーチューブ」に7月にアップすると、アクセス数は既に13万8000回を突破。世界から注目が集まっている。


国同士が良好な関係にあるとはいえない日中韓の若者が仲良く踊る姿を広めれば、差別や憎しみにあふれたヘイトスピーチもなくなるかもしれない。そう思った。





すみれ子さんは実在の人物のようだが、この活動は楽しそうでよいと思う。
私はあったこともない彼女に恨みもないし、若い人の前向きな取り組みを揶揄するつもりも全くない。

だが、音楽に「ヘイトスピーチを止める力」なんかないと思う。

これは多国籍のメンバーが歌を楽しんだ、みんなで楽しく音楽を消費したという活動であって、それ以上の意味や価値はない。そこに意味を見い出そうとしたり、政治的に誘導しようとしたりしても成功しない。

私は異文化交流で最も重要なことは、お互いがお互いを認めることだと思っている。相互に認め合うというのは、たとえば、歴史観を含む価値観はそれぞれが固有のものを持っているのだから、それを簡単に否定したり干渉したりしてはいけない、ということだと思う。


諍いが絶えないとされる日韓の間で、韓国よりもまだしも日本の方が分別があるように見えるとしたら、日本人(と言っても程度の差はあるけれど)の方は、韓国人が韓国の主張をすることをある意味当然のことと捉えているけれど、韓国人の大半はその逆のことができていないことが原因だろう。


例えば慰安婦問題などは日本が現代韓国の価値観で断罪されることが人類普遍的な正義だとさえ考えているようで、日本側が自分たちの意見を韓国側のそれと一致させること以外に解決の方法はないと、韓国人の多くが固く信じているようにすら見える。

一緒に同じ歌を歌ったところで、そのギャップが埋まることもないのだ。


ものすごく乱暴な言い方をしてしまうと、お互いにヘイトスピーチを応酬することだって一つの交流とも言えるだろう。そこで固定してしまうのは不幸なことだけれど、日韓が成熟した関係をめざすのなら、まずはお互い思っていることを言い合える関係になったほうがいい。そのためには、ヘイトスピーチだって必要なステップかもしれないのだ。少なくとも音楽にはその力はない。