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私の大好きなモノたち

普通のOLの日記です。

ここ2ヵ月、プータロウしてました。


お仕事を辞めてから駄目な自分を追及していました。

朝起きて、DVD観て、ご飯食べて、寝る。

そんなフリーダム過ぎる日々。


約5年、WEB制作をしてきて

なんだか心も身体も凝り固まってきちゃって

なーーーーーーーーーーーんにもしたくなくなっちゃったんです。

すべてが面倒くさい。

すべてに意味が見出せなくなっていたんです。


でもね、その自由な日々よりも社会復帰した今のほうが何100倍も楽しいです。





まず、今の会社は活気がある。

チームのメンバーが良いからでしょう。

皆入社1年くらいということもありやる気があります。

自分が持っている仕事の幅を独学でどんどん広げています。

面白くて仕方が無い!というムードがここかしこにてんこもりです。



次にディレクションをしたい!と渇望するようになりました。

いつからか、観察、分析することが楽しくなってきたんです。

何事もそれがあればよりよいものを作り出すことができると気づいたんですね。

だから、以前は面倒くさがったその作業が今や楽しい作業になっちゃいました。

そして、デザインの枠を超えて

サイト全体をディレクションしたくなってきちゃったんです。

今はディレクション、マーケティングの本を読書中です。



最後に自分の心の変化。

規模の大きいサイトにプレッシャーを感じたり、

かと思えば、

つまらない仕事をやりたくないと思いながら嫌々こなしたり

あまり仕様書も読まずに小手先でやっつけることが多かったんですが

主観を取り払って「良いもの」をつくろうという素直な気持ちな先行するようになりました。

すると、どうなるかというと

辛くないんです。

どんなに小さな仕事でも全体をみて、その作業の位置づけを考えてどうすれば効果的かを

真剣に考えるようになる。

少しズレてきたら潔くぶっ壊してまた作り直す。

それが楽しい。とっても。



なんというか

ようするに

今まで『面倒くさい』と思っていたことを、

『面倒くさがらなく』するだけで

すべてが楽しくなりました。

それができたのもこのチームの皆さんのおかげ。

この会社に入社できたおかげ。


フリーダムな日々からはこの楽しさは味わえなかったから

それがわかったから

明日も私は働きます。


最近読んだ本。

かづきれいこさん  舛田光洋さん


どちらも今までの自己啓発系の本にはない手ごたえを感じました。

それはご本人が昔辛いご経験をされて、克服したから

その方法を皆に伝えてもっとHAPPYになってほしいという

切実な「想い」が、ストレートに伝わってきたからだと思いました。



人が喜ぶ

人が幸せになれる

人が待ち望んでいる


なんだろう・・・・・

私があったらいいのにな~って思うもの。

なんだろう・・・・・



なんだろう・・・・・


そういうスピリットみたいなものが

今の私には無い。


まずは自分自身を

次に身近な人を幸せにしたい。

毎日笑顔で暮らしたい。


ウォーキングを始めた。

お掃除もしてる最中。

少しずつ私の飽和状態の脳が

整理整頓されてきた。

いい調子。


継続してって

近いうち、

私が

脱皮できますように。

消えたい気持ちが

ずいぶん和らいだ


私がうらやましく思ってた環境の人たちも

同じように私の環境を羨んでいるのかもしれない


どこにいても

他人の芝生は青く映る


今の私はそんなに悪いものじゃないかもしれない





22歳の時

みんなで埋めたタイムカプセル


あの時、私が私にあてた手紙にはなんて書いてたっけ

あの時の私が今の私をみたら

少しがっかりするかもしれない。

少し怒られるかもしれない。



人に傷つけられ

人に癒される



逃げたかった

人から

誰も私を知らないところで

生きていきたいと思った


だけど

きっとどこにいても

傷ついて

どこにいても

癒してくれる人がいる


それは、人間にしかできないこと


愛が足りないって

誰も私をスペシャルに思ってくれないって

そんな風にやさぐれて

泣いてばかりの毎日だったけど


同じように

人の知らないところできっとみんな泣いてる

私だけじゃない

きっと

幸せそうに見える人たちにも

影がある



まだ、私はここでよかったとは心から思えないけど

昨日より

悪くないなって思えるようになった


明日も

昨日より

悪くないなって思えますように


少しずつ、

私の傷が癒えますように


今日出逢えた人たちに

今日出逢えた本に

今日出逢えた風景に

ありがとう


今夜は幸せな気持ちで

眠りにつけそうです

4月なのに吐く息は白くて、

雨がしとしと。


この世に変わらないものってあるのでしょうか。

27年生きてきて、とくにここ数年、

人の考え、世の中の変化の流動を痛感しています。


何も変わらないものなんて無い。

あるとしたら人が自然の一部であるということ。


昨日反対されていた人が

今日は祀り上げられたり

おととい褒め称えられていたものが

明日攻撃されたり


すべてまぼろしではないかとおもう。

人も、地球も、宇宙も。





そぎ落とそうとおもう。

生活も、考えも。

もっともっとシンプルになれる。

もっともっと自由になれる。

何にも左右されないで

ただ、自分の道を。



小さな世界で胃を痛めてまでごちゃごちゃやってないで

もっと広い世界をみて。

できることは沢山ある。

やりたいことも沢山ある。

私にしかできないことも山ほどある。



時間は限られているのだから。

そして、何を手に入れたかじゃなくて

どれだけ笑ったか、どれだけ泣いたかだから。


私にガツンと響いたものを抜粋します。


アイディアの良い人は世の中にたくさんいるが、良いと思ったアイディアを実行する勇気のある人は少ない。我々は、それをがむしゃらにやるだけである

BY 盛田昭夫(ソニー共同創立者)


「常識」や「怖れ」によって自分の行動を制約することを止めた。

すると、今までの自分の生活にはなかった新しいネットワークが次々に生まれた。

BY 龍村仁(映画監督・作家)


もし、自分にできることをすべて実行すれば、その結果に文字通りびっくり仰天することだろう。

BY エジソン



自分の中でのルールっていうか、自分と約束していることっていえば、「何かを始めたら、うまくいくまで絶対に諦めない」ってことくらいかな。そうすれば、いつかうまくいくわけだしね。何事も最初からうまくいくわけないんだし、失敗から学び、成長しながら、着実にゴールに近づいていって、いつの日か最高のゴールを迎えられるように、っていつも明るく元気に頑張ってるね。始めた頃の失敗に、いちいち傷ついてたら、命がいくらあっても足りないもんな。

BY ある企業家のことば


逃げない、はればれと立ち向かう、

それがぼくのモットーだ。

BY 岡本太郎


私は天才ではありません。

ただ、ひとより長くひとつのこととつき合ってきただけです。

BY アルバート・アインシュタイン


空気と光と、友人の愛、これさえ残っていれば、気を落とすことはない。

BY 独作家 ゲーテ


何かを選ぶということは、何かを捨てるということ。

誰かを愛するということは、誰かを愛さないということ。


必要なのは勇気ではなく、覚悟。

決めてしまえば、すべてが動き始める。


どこかにたどり着きたいと欲するならば、今いるところには留まらないことを決心しなければならない。

BY P・J・モルガン(モルガン創始者)


足踏みしてても、クツは減るぜ。


まずは、やりたいことに、おもいっきり熱中してしまうことだ。

すべては、そこから始まる。

やりたくないことは、なかなか上達しないが、

やりたいことは、確実に上達する。

そして、好きなことに熱中しながら、たくさんの経験を重ねながら、自分の身につけてきた知識と技術が、他人の役に立ち始めた時。

自然に、結果やお金がついてくるようになる。


「大人が真剣に遊び続けると、それが仕事になる」

僕は、お金を出しても買えない価値を、“フリー”と呼んでいるんです。
これからの雑誌にも人にも必要なのは、総合力だと思います。

80年代に一世を風靡したユニット「スネークマンショー」、東京・原宿の伝説のクラブ「ピテカントロプス・エレクトス」のプロデューサーであり、日本のクラブカルチャーに多大な影響を与え続ける桑原茂一 。彼が編集長を務めるフリーペーパー「dictionary 」が、2008年に創刊20年を迎えた。




――dictionary を作るうえで大切にしていることは?
「いつも軽やかで、いい加減でいたいと思っています。百年に一度の不況だからと時代を悲観するより、パンクな精神で生きてきたなら、今こそチャンスです。一見社会は壊れているように見えても、この国は警察国家です。しかも、それに気づいていない人の方が多い。だから、今みんながちょっと過激にみえることは、本当はたいしたことではないということです。」



――ずばり、これからの雑誌に必要なこととは何でしょう?
「“総合力”だと思います。オタクって言葉が良いか悪いかは別として、これまでは専門家があまりにもフィーチャーされすぎたんじゃないかな。雑誌をつくる人たちに総合力がないと、結局は面白いものがつくれないと思います。僕は雑誌の内容は直感で決めています。周りをよく観察していると、『こういう風にしたほうがいい』というお告げがくるはずです(笑)。ひとは年齢に関係なく自由な価値観で生きられる人は少ないですね。価値観を混乱させたり、壊したりするメディアも必要では?」

今日は会社の茶道部に参加してきました。

目黒区の市民会館で、割と本格的に。


やりかた全然わからなかったけどすごく楽しかった。

もっと知りたいなって思った。

会社の人がすごく素敵に見えた。

あんな風に自然に振舞えたらいいなーって。

あこがれちゃうなー

前は全然興味なかったのに不思議。


緊張とかしなかったし、なんか変わったな私。

結構楽しめそうだと思った。


最近日本の文化に興味がでてきたんだよね。そんなお年頃なのかしら?

日本の歴史や、世界情勢だとか

そゆものをもっと知りたい今日この頃なのです。



会社の外へ出れば、みんなの普段の性格や楽しみなんかが知れて

とても楽しい時間が過ごせるね。

人に雇われている限り

仕事は仕事でやっぱしんどいけど

人からもらうエネルギーは計り知れない。


このところずっと一人が居心地よかったけど

人と話すことがまた楽しいなって思えるようになってきた。

人間のパワーはすばらしい。


自然との共存。それも素敵。

でも、同じくらい、人間からもらうパワーも大きい。


農業もやりたいけど。

もう少しこっちでもできることがあるのではないか

なんて思ったり。

いつも迷ってる私。

どこへ行っても楽しめる自信はあるけど。

納得ができるかどうか。


仕事以外はなんでもたのしいなー

基本的にやらされるのが苦手なんです。

授業中は他の授業の宿題やったり絵を描いたり

仕事中は仕事の合間に知りたい情報調べたりとか次読む本探したりとかw

余計なことばっか本気になるんです。

あまのじゃく。

自分でやることは何でも楽しい。

寝なくても平気。

自分勝手なんでしょうね。


だから逃げれない立場の方がいいんだろうな。

プランナーやってた時の方がスッキリ気持ちよく仕事できてたなー

なんて。

私はやっぱりデザイン向いてないな。

根詰めてやる自分との戦いは仕事以外でやった方がいい。


日本でもまた木を切り、森を破壊してきたが、

しかし私たち日本人は決してすべてを殺しはしなかった。一方で生活の基を築くために森を破壊してきたが、その一方では、ふるさとの木によるふるさとの自然の森を再生し、保護してきた。

これは日本古来の宗教である新道と、のちに日本に入ってきた仏教のもたらしたものである。


神道において我々が無数の神を持っているのに対し、一神教においては像もしくは教会だけ信心の神聖な対象となっている

私たちの祖先は、自然に対して畏敬の念を持っていた。特に、古くて大きな木や深く繁った森に対しては。彼らは海岸沿いの高いところや川の源流の近く神社を作り、自然の森を保護し、保存した。それらの森は鎮守の森と呼ばれた。神道は、科学的に日本の自然の森を再生し、守る哲学的なよりどころである。



しかし、4000年の歴史を持つ自然と共生した日本の自然宗教が、ごく最近100年足らずの間に、一部の人によって間違って利用されたために、いま、多くの日本人が宗教に無関心である。鳥居とか神社とか、鎮守の森といっただけで拒否反応を起こす。これはきわめて不幸なことである。我々は4000年続いてきた神仏混交の宗教をもう一度見直すべきではないか。


一神教がたった2000年で地球を駄目にしてしまったという思いを宮脇は強くもっている。

唯一神や人間中心の教義や思想であったため、他の生き物や自然環境を征服し、利用するものとなった。日本の仏教や神道には自然と共存思想があった、と思うのだ。そして、鎮守の森は、その象徴だったのではないか、と。

次の道を決めた。

半農半X。

私のX=イラストレーター、WEBデザイナー。


6月には本気で今の会社辞めます。
パリへ2、3ヶ月行こうと思っていたんですが、
やめました。
そして、そこではなく、別のすべてがつながったかんじです。


自然にふれて思うことは
人間がつくりだすものは絶対に自然にはかなわないということ。
どんなにかっこいい建築物だろうが、どんなに便利な道具だろうが
どんなに精密に描かれた絵だろうが自然が作り出した完璧さには叶わない。

例えば1本の木が育てば、木の下では根によって土が軟らかくなり生物が育つ、根っこが作った穴でリスが生活し、幹の周りに別の植物が育ち、上の方では鳥がとまって寝る。
そこには無用のものは何ひとつなく、永遠の循環が成立します。
でも、人間が作り出すものはそれ単体でしかない。
でも、人間自体はすごく精密ですばらしいんです。
手を切っても一週間で治り、歩こうという意思でどこへでもあるける。
自然にできたものは想像を超える複雑な何かでできていて、絶対何かに支えられているし何かの為になっているんです。

だからでしょうか。
人は自分だけは何でもできると思っちゃう。
都合よく自然を変えちゃう。
そこら中で言われていてなんとなくわかってることだけど、
すごく傲慢で変な考え方。
私もそうだった。
なぜ、働くのか。
お金のため。生活のため。好きだから。

じゃあ、戦後こんなに経済成長した日本が今何故こんな大不況に陥っているのか。
他の国より明らかに残業してあくせく働いているのに
金銭的に豊かに感じないばかりか
何故ここ10年も年間3万人の自殺者が出るのか。



そんなことをとりとめもなく考えて行き着いた答えです。



パーマカルチャーも興味があるけど、なかなか現実的には厳しいので、

まずは農業。

ミートボールの中身が何だか考えたことがありますか?

化学調味料を長い間摂取していて体にどんな異変があるか知っていますか?

自分の子供に食べさせられますか?


いろんなところで言ってるし

自分でも知ってるつもりでいたけど

やっぱりどこかで納得してなかった。


日本の、世界の未来のために

自分が何かをしたいって思った。



といっても、狭い日常の世界にいると

もっとデザインを極めたいとかイラストレーターとしてもっとやらなくてはとか

そゆ風に思って、

そこまでやらなくてもいいんじゃないかと思ったりもする。

自分の選択が自分にとってベストなのか

すごく悩む。



私は最近、何かを成し遂げるために私が生まれてきたという

傲慢な考え方をあまりしなくなった。

すべてはあわみたいなもので

誰かが死んでもいつのまにかみんなの日常に戻って

誰かがしたことも2000年もすれば大抵は忘れ去られる。


私は自然の一部で植物の微生物だから

毎日幸せに生きる、

それができればいいなって思うようになった。


でも、それが私が生きている間や、私の子供の世代まで続かないほど

私たちが間違ったことをしているのなら

軌道修正していきたいと思う

その手伝いをしたいと思う。



決して間違ったことではない

でも、私がしないといけないかといわれるとよくわからなくなる

誰かがしてくれる

私がしなくっても、なんとかなる

そんな思いもあって

ごちゃつく。

すべては神の思し召し

キリスト教の人は言うのかな

宗教は強いよな。

信仰心を私ももちたい。

迷った時に道しるべになるような

そんなものがあったらいいのに。


こゆとき一人ぼっちはつらいです。