能登半島地震から3ヶ月、
今度は日本の友人でもある台湾で大きな地震が起きてしまいました。
昭和13年生まれのうちの父、
子供の頃、終戦まで台湾に住んでいました。
そのことは
私が小さい頃に父から聞いていたので知っていました。
つい今週の帰省までそれ以上の詳細を父から40年近く聞いたことがなかったのですが、
いつもの夕飯時、二人で晩酌をしていると
父が不意に先日の台湾地震の事を話し出しました。
地震が起きたエリアのことを良く知っているなと思ったら、
地震が起きたエリアは昔家族で住んでいたところだそうで、
その近くの水力発電所(←太魯閣渓谷付近で今も稼働しているそう)を作るために当時日本が統治していた台湾に建築の仕事をしていた父(私からすると祖父)の転勤に伴って家族で移り住んでいたとのことでした。
・・・そうだったんだ。
ずっと戦争による疎開と思っていたので、祖父の転勤という予想外の理由にちょっと驚きました。
台湾暮らしは父にとってとても良い思い出だったようで(食生活も当時の日本より果物など食べるものが比較的沢山あって困っていなかったそう)、
定年後に1度、うちの毒母と関係が悪くなる前(今から20年以上前)に当時住んでいた懐かしの台湾の町を訪れています。
そんな父の母(←私からすると祖母)は台湾で父含めた男三兄弟プラス四男を死産で出産したそうで(死産だったけれど名前を付けて戸籍に入れて日本に帰ってきてから遺骨をお墓に入れたそう)、
そのこと(四男がいたこと)を今も三男(父は次男)は知らないこと、
日本に戻ってきてから父の母(私からすると祖母)は脊髄か何かの病気で42歳で亡くなってしまい、小学4年生だった父は沢山泣いたことなど(のちに祖父は再婚して新しいお母さんに3兄弟は育てて貰っています←とても優しいおばあちゃんでした)、
これまで自分のことを余り話さない父が珍しくそんな昔の話をしてくれました。
恐らく父は早くに他界してしまった母との楽しかった子供の頃のことも含めて台湾が良い思い出になっているのかなと。
そんな懐かしい思い出が沢山詰まった台湾での地震のニュースは心配でたまらなかったのかも知れません。
父の昔の話を聞いて
本当は今回の仕事の後、東南アジアの旅へ少し長めに行こうかなと予定していたんですが、
その日程と費用を父との台湾訪問に使っても良いのかなと考えてみたり。
父ももう80も半ばを過ぎましたし、せっかくならば3兄弟で行きたいのかな(←そうなると私1人の出費だとだいぶ負担
)?とか。。
そもそも行きたいのかも分からないので、
こちらの都合がつきそうならば一度意向を聞いてみたいと思っています。
いつも日本がピンチになるといの一番に救いの手を差しのべてくださる台湾へも、本当に微々たる金額ですが募金をさせて頂きたいなと思っています。
そういえば、
今年は例年より少し遅めに咲いた桜


帰省先で楽しむことができました
田舎町なので、
近所の散歩の人くらいで、ほぼ独り占め
道端のスミレや





