41歳の4月に私は日本を離れ東南アジアへ出稼ぎに一人旅立ちます。
きっかけとなったのは38歳の春。
38にして私は人生で最大の失恋をしてしまいました。
結果として自分から別れを告げたものの、嫌いでお別れをした訳ではないのでダメージが大きく結構凹んでいました(結局立ち直るのに数年かかり、いまだトラウマという 笑)
38歳の春の別れのあと、ドラマ的に行けば翌月あたりから傷心の旅とかできればカッコイイのですが、現実的にはお金がなくどこにも動けませんでした。笑
そうです、私は派遣暮らしが長いならばまだしも、福岡時代からの飲み屋活動から抜け切れず、愛知でも行きつけを作りそこにお金を(今思えば無駄に)投資をしていました。
お金、大事です。 笑
私はなけなしの状況から何とか脱出すべく、別れた相手と万が一結婚(←結婚を全く考えていなかったはずが不覚にも結婚もありかなと思ってしまいました)をしていたら出来なかったであろう自分の夢を全部やってやるぜ!という意気込みで先ずは軍資金を貯めるためにせっせと働くことに決めました。
選んだ働き方は平日は派遣で週末はモデルルームの受付+スーパーでのマネキンさん。
時にはモデルルームでニッコリと微笑み、時にはスーパーで三角巾を被り声を張るという、、、笑
そして1年が経ち、心もとないながらも少し貯めたお金(60万くらい)でフィリピンへ。
そうです、一つ目の夢、それは「留学をすること」でした。
ちょうどそのころ、英語学校で働く友達に聞いたところ、フィリピン留学が安く流行っていると教えてくれて、フィリピンならばいけると踏んで旅立ちを決めた39の春でした。
・・・とは言っても軍資金も大して無いので留学後の生活費も考えると留学期間は2ヶ月間。
(当時は1ヶ月間の授業料、3食付いて、更に一人部屋で1ヶ月10万円くらいと破格でした。)
40前のおばはんが今更留学なんて。って感じですが、少ないながらも私前後の年齢の人もちらほらいました。(90%以上が春休みを利用してフィリピンに来ている大学3年生でしたが)
毎日10時間ひたすら英語。
今思えばあれだけ英語だけに集中して勉強できる時間って貴重だったなと思います。
もともとTOEICは600点辺りをウロウロしていたのですが、2ヶ月後の試験で695点。
フィリピン留学でまじめにやれば、1ヶ月平均50点くらいUPできると言われていたので、その前評判通りの状況で留学を終える形となりました。
海外をちょっと経験したことで、次なる夢の実現「海外で働く」という目標が出てきました。
これまた数年前の当時『世界に就職(略して:せかしゅう)』が巷で流行っていて、若者がグローバル化を見据え海外で働くというのが選択肢の一つになりつつあった時でした。
私がフィリピン留学で知り合った5つ下の女性もこの『せかしゅう』に乗ってインドへと旅立っていきました。
その彼女の話を聞いた時の私と言えば、「行きたいけど、自分の年齢とこのTOEICレベルじゃ無理かな。。」と悶々としながら派遣の仕事を淡々とこなす日々。。
・・・でも、でも、やっぱり行きたい!
フィリピン留学から戻ってきて1年半くらい経っていたのですでに40歳。
ダメもとでやってみようと、働くならばマレーシアで不動産と決めていたので、マレーシアの首都:クアラルンプールにある日系の不動産会社をネットで検索し、片っ端から私の転職歴バリバリ(笑)の履歴書と職務経歴書をメールに添付して送りつけました。
それと共に、海外就活の仲介をしている人材会社(調べると結構あります)にも登録。
結果としては、人材紹介会社よりも独自で履歴書を送りつけた方が手応えがあり、クアラルンプールの日系不動産会社からは1社以外全て返信があり、Skype面接をして貰いました。
・・・が、最終的にマレーシアは断念。
面接先の相手はどう思っていたのか分かりませんが、なんかいまいちピンとくる会社が無かったんですよね。。
本当はマレーシアがいいけど、、、
でも、マレーシアは無理かな。。。
諦めようと思って視野を広げて他の国も、、
・・・と思っていた矢先にトントン拍子に決まったのがベトナムの日系不動産会社でした。
