お父さんが亡くなったのは2020年1月下旬。
世間ではコロナが流行りだした頃。
ギリギリ私の住んでる辺りでは、そこまで流行っていなくて。
お父さんの葬儀に参列してくれる人が多かった。
長女姪は
「この後みーちゃんのとこ行っていい?
雪祭りに行きたーい!」
って言ってたけど。
長女姪は職場からどうしても出勤してほしいという連絡を受けて
「行きたかったけど…
やっぱり会社を無碍にはできないよね…」
と言って泣く泣く帰路についてた。
でも雪祭りにはいかなくて良かったと思うよ。
あそこから爆発的に流行っていったからね。
この一か月後とかだったら葬儀はあげられなかったと思う。
それにお母さんも帰省出来なかったかもしれない。
そうなればお父さんの葬儀は寂しいものになっただろう。
何よりお父さんはお母さんを愛しすぎてた。
そんな人が見送ってくれないとなったら悲しかっただろう。
無事に式を上げられて良かった。
長姉に関して、ちょっとだけ名誉挽回をすると…。
お父さんが危篤な時に、一日だけ来てくれたらしくて。
その時にお母さんを連れてお見舞いにいったらしくて。
そして病院近くのうどん屋さんでうどんをお母さんと一緒に食べたらしくて。
お母さんはとても喜んでた。
という話を聞いた。
葬儀の後私が家に帰る際、長姉にはお母さんのトイレの案内とかを教えて。
長姉が帰る前まではそれを実行してくれたらしくて。
ちょっと助かったわね、って思った。
その後はクズみたいな所業で次姉にも着信拒否される事態になったけれども。
それは私の知らんお話。
今もほぼ毎日お父さんお写真の前にお水をあげてお経を唱えて近況を話して。
そして今日もお母さんの事宜しくお願いします、といって終わる。
お父さんの隣には愛犬の写真があるんだけど、同じ位置に居るとお父さんが嫌かなって思ってちょっとだけ高い位置にお父さんの写真を置いている。
お父さんも愛犬もどちらも大事よ。
お父さんの遺影は、20年近く前にタスポ申請で写真撮影が必要になった時にお父さんが職場へ戻る前に急いで撮ったものだった。
お父さんはこんなところ(フェリー乗り場)で恥ずかしいな、って言ってちょっとだけ笑っていた。
亡くなる前の痩せ細った写真ではなく、まだ現役だった頃のふっくらとした写真で。
ちょっぴりはにかんだ笑顔だった。
私はその写真を探し出した。
「これを遺影にしたいです」
って葬儀屋さんにお願いして。
そうして出来上がった遺影。
身内からも
「あらぁ、良い写真だねぇ」
って言って貰えて。
お父さんへの恩返しポイントが跳ね上がったのでは!?
等と思ったりもした。
お父さんは夫としても父親としてもダメな人だったかもしれない。
でもね。
小さい頃、ゲームで遊んでた時にお父さんも一緒に居て。
「そこでホイミだ!
その敵にはザラキだ!
あー、レベル上げが必要だな!」
等と言ってて一緒に遊んで(?)くれてた。
「お父さんはちょっと寝る!」
と言ってコタツに潜った直後
「お父さーん」
って呼びかけながら振り返ったらもう熟睡してて。
こんな早く寝るー!?って驚いたりした。
小さい頃お父さんが帰省した時ホラー映画をやるってんで、一緒にみようねって言ってて。
いざその時間になったら
「これは怖いから見ない方が良い。
もう寝なさい」
と言ってお父さんは暗がりの中そのホラー映画を見てた。
その機会を逃してから未だ見ていない『13日の金曜日』。
それからだいぶ年月が経ち私が結婚して実家を出て…連休に帰省したら、日本の某ホラー映画を見るんだって言ってたんだけど。
トイレで1Fに降りたらお父さんがテレビを消して寝る準備してて。
「あれ、映画もう終わったの?」
って聞いたら
「怖すぎて無理だった」
って言ってたのが可愛い。
お母さんにしか興味がないお父さん。
私が中学生の頃も私の事を邪険にしていて
「自分の部屋があるなら自分の部屋に行きなさい」
って言われてお父さんが帰省してる時はテレビも満足にみられなかった。
そんなお父さんの体の不自由が失われていってた頃。
私が実家帰省します、って時にお母さんから電話がきた。
「もしもしー。どうしたのー?」
って聞いたら
「今どの辺にいるかなって思って。
お父さんがねぇ
『みーどの辺まで来てる?心配だから電話して』
って言っててねぇ」
って言ってて。
それが今でも忘れられない思い出。
気にかけてくれたのが嬉しかった。