退院することになった。

お父さんが迎えに来てくれた。

 

私は怒りがたまりにたまってお母さんから預かったお金を入れていた財布と、レシートを貼った家計簿を持って長姉の前に立ちふさがった。

 

「ねーちゃん。何か家計に不満が?」

 

私が言うと、ぎゃんぎゃん吠える長姉。

 

「お前が食ってた弁当あれ母さんから預かったお金だろ!

 父さんにもたばこの一つも買ってやらんで!

 好きに使うのもいい加減にしろよ!」

 

と怒鳴られた。

お父さんは、お母さんがあんな状況だから多分ゴールデンウィークからお休みをもらってたんだと思う。

 

「お弁当は自分の小遣い!私にもあるんだよ、少しのお金が!

 ねーちゃんはさ、以前子供たち保育所に入れない間は面倒見ててよ2万円で。

 とか言ってたけどあの時一切払ってないじゃん!?

 でもお母さんから少しだけ貰ってたんだよね!

 それをギャンブルに使わないで貯めてて弁当に使ったの!文句ある!?」

 

って言ったんだけど、

 

「証拠見せろや!ねーだろ!

 父さんにたばこも買ってやれねーのはお前が使ってるからだろ!」

 

っていうので、財布と帳簿をテーブルに置いて

 

「その目でどうやって預かったお金を使ってるか見ればいいよ。

 お父さんにたばこ?お母さんから禁じられてるから渡してないだけだよ?

 ねーちゃんがさぁ、その帳簿以上にやりくりできるならやればいいじゃん?

 お金も渡すからさぁ!!」

 

と言って全部引き渡した。

お父さんは何も言えずに固まってた。

それでもお父さんはヘビースモーカーだったから、全く渡してないということは無い。

家計に余裕があれば家計からだしてたし、余裕がなければ私の小遣いから出してた。

ヘビースモーカーに突然禁煙ってつらいと思って…。

 

私が退院して3日くらい経ってからお母さんも退院した。

そしてその家計簿をじっくり見て

 

「みー、よく頑張ったね。

 ちゃんとお母さんの渡した金額内で収まってる。

 節約もしてて偉いね」

 

って笑顔で言ってくれた。

1週間1万円。

9人分の食事を賄わなければいけなかった。

それを約1カ月。私が入院してたのは10日程だったけれど…頑張った方だと思う。

それでも長姉は許せなかったらしく

 

「でも!父さんにはたばこも買ってやってないんだけど!

 それにこいつ、車税をもう支払ってた!

 夏でもいいのに!」

 

と、あくあまでもお父さんを引き出してくる。

普段は毛嫌いしてるくせに。

お母さんは

 

「お父さんにたばこを渡すなって言ったのはお母さんだよ。

 車税も支払ってしまいなさいって言ったのはお母さん。

 お前に使われたらたまったもんじゃないからね」

 

って言って長姉は黙った。

 

「みーも大変だったのに。

 お母さんがこんなんで迷惑かけてごめんね」

 

って言ってたので、そんなことないよ!って返した。

 

「とにかくお前(長姉)は、アレ(次姉)に無い事ばかり言わないように」

 

と釘をさして今回の事件はひと段落した。

お父さんも全面的に長姉にのらなかったのは、家計簿や私の小遣いからたばこを渡してるからだと思う。

 

長姉はあまり私の病気に関心がないようで。

私も闘病中という事を全く考慮せず、家にいるなら家事やって当たり前…

みたいな感じに思って居るんだと思う。

そんな大人に私はなりたくない。

 

お母さんがT病院に2回目の入院中。

私も皮膚が悪化していた。

悪化したのが手術後で良かった。

 

熱が上がり、皮膚が痛くて家事が出来なくなっていた。

以前よりブログで言ってる通り長姉は

 

「働かざる者食うべからず」

 

を貫いてる人だから、私が寝込んでいるときはご飯を食べさせてくれない。

だからみんながご飯を食べている間、何とか車を運転してコンビニいって私は私のお小遣いを使ってお弁当を買っていた。

それが数日続いた頃、流石に手のひらも痛すぎて運転できなくなって。

どうやら膿疱が手のひらにも出てしまったみたい。

次姉に相談して(この頃は函館から地元に帰ってきてた)、病院へ連れて行って貰った。

救急外来として病院へいった。

その時S病院に駐在の皮膚科医師が居ないという事もあって帰されそうになったんだけど、内科の先生が

 

「自分がみますから入院の手続きお願いします」

 

と言って下さって、入院させてもらう事になった。

その際に入院の書類やらなにやらを姉にお願いして入院した。

お母さんにはメールでS病院に入院したって話をした。

 

2日後、姉が書類やらパジャマやら持ってきてくれたんだけど…

何をどんなふうに長姉に吹き込まれたのかわからないけれど

 

「入院届はかいてやったよ、ほらよ」

 

といって書類を投げ捨てた。

そして

 

「パジャマも持ってきたけどいらねぇよなぁ。

 お前みたいな卑怯なやつには必要ねぇな?」

 

と言って持ってきてくれたパジャマを持って帰ってしまった。

あとから知ったことだけど、どうやら私が入院した後に長姉が私の部屋に入って弁当を食った痕やらを見て

 

「あいつどこからそんな金出したんだ。

 きっと母さんが生活費でよこした金で買ったんに違いない」

 

とか言ったらしい。

勿論そんなことは無い。

お母さんから預かったお金は帳簿にして毎回レシートと共に記してあった。

私が弁当を買ったのはあくまでも私の小遣い範囲内だ。

 

その旨をお母さんに伝えたら、お母さんは外出届を貰って従姉妹にスーパーに連れて行ってもらって、私用のパジャマを3種類買って従姉妹に持たせてくれて。

従姉妹はそれを持って私の病院まで来てくれた。

 

「みーちゃん大変だったね。

 これ、お母さんが買ってくれたパジャマだよ」

 

と言った従姉妹。持ってきてくれたパジャマを受け取った。

お茶やお水等も買って持ってきてくれた。

誰も味方が居ないと思って居たので嬉しくて泣いてしまった。

 

「入院中暇でしょ?

 次来るときゲーム機持ってくるから、それで暇つぶしてね!」

 

って言ってくれて、次に来てくれた時本当にゲームを貸してくれた。

 

お母さんにもお礼のメールをしたら、

 

「お母さんが行けなくてごめんね。

 今日は○○chで良い歌っこやってるから見ると良いよ!」

 

って返してくれて。

利き手と逆の左手でメール打ってくれてるんだろうなって思うと余計泣けちゃって。

そんな私もメールは割と必死な方で。

兎に角手のひらにも膿疱が出ていたから痛くてしょうがなかった。

お茶を買ってきて貰っても、蓋を開けられなくて看護師さんに開けて貰っていた。

 

引き取ってくれた内科の先生は血液内科の先生で、ついでに血液検査もしたそうなんだけど…

その時飲んでいた皮膚科のお薬が引っ掛かって、エイズ疑いという判定が出て。

疑いが晴れるまでの間はそりゃあ寂しい扱いだった。

ゴミは普通のゴミじゃなくて、あまり良い意味ではない感じの特別な扱いをされた。

看護師さん達は部屋に入るときには完全武装して入ってきた。

血圧計るときも、古い測定器を使っていた。

 

「ごめんなさいね。その疑いは晴れるとは思ってる。

 でも疑いがある以上マニュアル通りにしか動けなくて… 

 本当にごめんなさいね」

 

って看護師さん達がかわるがわる言ってた。

そういうマニュアルがあるからこそ守られてる治安なんだと思って納得はしてる。

でも心当たりが無いから晴れる事を唯願ってた。

検査結果、1週間ほどで疑いは晴れた。

 

その間、手のひらの膿疱も割と引いてきてて。

従姉妹が貸してくれたゲームを遊んだり。

疑いが晴れてだいぶ楽になった頃には外まで行ってベンチでゲームをしたりした。

 

長姉とはあまり良くない関係だったけれど、長姉姪が私の事をずっと気にかけてくれたみたいで。

長姉姪と次女姪が一緒にお見舞いに来てくれた事もあった。

 

「ママがね、連れてきてくれたの。

 でも早く帰ってこいっていうからもういかないと…」

 

と申し訳なさげに言ってたので

 

「二人ともきてくれてありがとう。

 気を付けて帰るんだよ?」

 

と言って早々に見送った。

後々に長姉姪が更に年を重ねた頃、実はあの時…と語っていた。

 

「本当は病院に連れて行かないってママ言ってたんだけど。

 私はどうしてもお見舞いに行きたいからって何度もお願いして。

 5分で戻って来いとか言われたから急いじゃって。

 すぐ帰っちゃってごめんね」

 

と謝られてしまった。

「来てくれたの凄く嬉しかったよ!」

と私は感謝を伝えた。

 

一連の事を思い直す。

なんだ。姉二人は敵でも味方は沢山いるじゃん。

そう思って勇気を貰った。

 

 

雪が降り積もり。

そして春が訪れ。

雪が解けて桜が咲ききった後。

 

その日は嫌な雨が降ってた。

 

近所で救急車が鳴る。

こんな近所で珍しい…。

と思った矢先。

お父さんが血相を変えて私を呼んだ。

 

「お母さんが救急車で運ばれた。

 入院の準備してくれ」

 

お母さんはその日、母の日だから。

お父さんもいるし、この後函館に行こうと思って。

 

そう楽し気に話してたそう。

 

でも事故は起きてしまった。

 

製麺所にて機械を使って麺を一袋一袋と熱で袋とじにする作業をしている最中。

麺がちゃんと入らなくて「あっ」って思って思わず右手を突っ込んでしまって。

お母さんの右手の指は熱棒に挟まれてしまった。

 

一緒にいた姉が管理者さんを呼びに行った。

管理者さんが来るまで耐えてて、指が挟まったことを伝えたらしい。

その間肉が焼ける匂いがしたよって言ってた。

私だったら喚き散らしてる状態だったろうに、お母さんは

 

「騒いだところで管理者さんも慌てたら大変でしょ?」

 

って言ってじっと耐えてたらしい。

結果的にお母さんは利き手である右手の四本を失う事故となった。

 

管理者さんは親戚で、是非手伝いに来てほしいといつも言ってた。

でもお母さんのうっかり事故のせいで、現場検証とかが入る事になったし消毒とかも余儀なくされたとかで。

お母さんのお見舞いにきても、そっけなくただ手術代だけを置いて去っていったらしい。

お母さんはちょっと寂し気で私も悲しくなった。

 

お母さんの手術の日は本当にめんどくさかった。

 

「長女である私が手術に立ち会うべきでしょう!」

 

と、長姉が憤っていたから。

それを見越して

 

「仕事あるだろうから、みーがきてくれたらいいよ」

 

ってお母さんが連絡してくれて。

渋々私にバトンタッチしてきたんだけど…

私はその頃、姪っ子をおんぶした時に腰をズドンとやってしまって。

21歳にしてぎっくり腰になってしまったわけで…。

お母さんの手術を待つことはできたけど、部屋に戻ってきて麻酔から目覚めた後の事は私何もできなくて。

どっちが患者かわからないねって感じだった。

 

当時乗ってた車もタウンエースで座高が高くて、腰が痛い私はよじ登って運転席にのった。

乗ってしまえば運転は平気なんだけれどもね…。

 

お母さんはその後もお医者さんと相談して何度も手術を繰り返して、使えないし痛いと思う骨を削って楽になったところで障碍者2級を貰っていた。

 

そんなお母さんの入退院中、私が家事一切を取り仕切った。

年末はバタバタしていたけれど、甥っ子や姪っ子達は義兄の実家にいっていたので割と静かな年越しになった。

 

年越しそばを食べる前からもう除夜の鐘は鳴っていて。

 

「わぁーもう除夜の鐘なってるよ!」

 

って言いながら年越しそばを作って。

お父さんは早寝早起きの人だから起きて居られなくて、年越しそばを食べたのは私とお母さんと叔父さんだけだった。

食べた後に年を越してしまったので

 

「あけましておめでとうございます。

 今年もよろしくお願いします」

 

と挨拶をかわして、後片付けをしたのち近所の神社へ一人お参りに行った。

小さい神社だけれど、歴史は古い!

実に450年の歴史ある神社。

 

お賽銭にお金を入れて、鐘を鳴らして手を叩いて無病息災を願う。

その後おみくじを買ったんだけど、神社にいたおっちゃんから

 

「ねーちゃん、チョコとお神酒あるよ!」

 

って言われたので、お酒あんまり飲んだことないけど

 

「お神酒お願いします!」

 

って言ったら

 

「おーおー、高校生が飲んで大丈夫かいー?」

 

とこれまた口がうまい事を言うので

 

「もう二十歳過ぎてますよー」

 

と言ってお神酒を戴いた。

因みにお世辞とは言え若く見られたのは嬉しかった!

お神酒は度数が強いので少量でも慣れて居なければくらくらしちゃうね!

 

おみくじの内容は覚えてないけれど、おみくじを結んでその場を後にした。

 

無病息災を願ったけれど、そんなうまい話などあるわけなく。

また新年も新たに波乱万丈な一年が始まるのでした。

大好きだった祖父が亡くなったのは、私が高校生を卒業したばかりの頃だった。

 

私の皮膚病(乾癬)は、高校生の頃から現れてきてて。

まだ小さい病(やまい)だったけれど、高校生の私にとってはとても大きい病気だった。

皮膚が辛いというより以前に、周りからどう思われてるのかという不安しかなかったから。

そんなふさぎこんじゃう事案を、祖父も感じ取っていたかもしれない。

 

私は高校に通いながら教習所にも通っていたので、卒業するころには運転免許は習得してた。

高校に通ってた時は学校が終わってからお母さんが学校最寄り迄迎えに来てくれて、急いで祖父の病院へいってICUにいって会話してたくらい。

そのたびに私の皮膚を気にしてくれてた。

 

「おじいちゃん、こんなところにいないでよ。

 早く一緒に帰ろ?」

 

って言ったら、祖父は笑いながら

 

「んだな!」

 

って言ってた。

大部屋に移った時も油断ならなくて。

突然病院から電話来たと思ったら呼び出しされて。

お母さんはお医者さんとお話してる最中、私は祖父とお話ししてた。

長男甥も一緒にいって、顔を出すたびに祖父は喜んでいた。

 

「いやあ、俺死ぬかと思ったじゃ。

 さすがになぁ、一人きりで死ぬのは嫌だでな」

 

って笑ってたけど笑いごとじゃない。

実家から病院まで2時間かかるんだよ?

病院からも何でちゃんと連絡してくれないんだ…。

軽い気持ちでお見舞いいったらショックを受けてしまった。

そして、深刻な会話をお医者さんとお母さんがしてて長時間を要するのならば。

靴を持って病室まで行ったのに。

その日私は後悔した。

靴箱に入れてた新品のブーツは、帰る頃になくなっていた。

私はその日、病院のスリッパで帰った。

 

高校を卒業してからは、私が途中まで運転してた。

車通りが多くなる頃にはお母さんが運転して。

病院に着いた時に祖父に顔を出して、その後お母さんも色々話したい事あるだろうなって思って。

待合室みたいなところに大きなテレビがあったから、そこで甥っ子の宿題を見ながら時間を潰した。

 

祖父は1月の末頃に祖父の姉達やお母さんや叔父さん達が見守る中、おばあちゃんの元へ逝った。

私は実家で待機してたけど、その日はとっても良い天気だった。

祖父はお見舞いに行く度に言ってた。

 

「みー、皮膚の状態はどうだ?

 大丈夫だ、ちゃんと良くなるからな」

 

慰めの言葉だと思ってたけど、令和の今現在特効薬のおかげで以前の苦しみはない。

この特効薬も特定疾患に認定して貰ったから治療を受けられてる所。

10割だと1本10万円近い金額の注射。

私の膿疱性乾癬は本当に厄介なので、2週間に1回注射を打ってる。

一度病院にいったら2か月分くらい貰うので、一気に4本。

特定疾患に認定されていなければ、3割だとしてもとんでもない金額になる。

 

副作用で苦しむときもあるけれど、皮膚が痛くてつらかった日々を思い出すとなんてことはない。

薬をべたべた塗ってはサランラップをまいて、更にガーゼで巻いて包帯で締めくくってた日々。

今では素足を出せるまでになった。

どれだけの歳月がたったことだろう。

 

そんな先の事見えてたの?

おじいちゃんは凄いや…。

いや、おじいちゃんはずっとずっと前から凄い人だったよね。