大往生 | 毎日笑う

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日々の暮らし日記 

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10日 月曜日 おはようございます

父は金曜日の朝早く亡くなりました
結局 死に目には会えませんでした

家族の代わりに看取ってくださった

ホームの方々には感謝しかありません🙏


弟が午前中に仕事を済ませてから

午後になってあらゆる手続きをして

家まで連れて帰ってきてくれたので


私はやるべき仕事を片付けてから

夕方 実家で対面


お父さん お疲れ様でした

人生の中では辛い事もあっただろうけど

大往生 

とても綺麗な顔だったので

最後は良い締めくくりだったのでは?

と思います


私はとくに涙もなく…

ただぼんやりと父の死顔をながめた


父の晩年は脳溢血の後遺症で

あまり言葉も出ずだったし

姿をみるのはなんだか悲しくて嫌だった

優しい人で子供の頃は

頼もしいと思っていたし…辛くてさー…


私と父はなんだか気質が同じで

元々そんなにべったりした

親子ではなかったし…


私は早くから家を出たせいで

父とは何十年も記憶に残る交流も無く

老人になってからは口もきけず

ホームに入る前になんどか

食事の世話にいったくらい

↑弟と母の要請があった時

私はそれをミッションと呼んだ


…弟としては

たぶんこの頃が一番大変だったのでは?

と思います

母もまだ元気だったし←強いからさー…

私は実家に帰るたびぐったりしてたもんな…


ホームにはいってから

コロナ禍になり何年間も会えない時もあり

弟と母に任せきりだった…


なので

私には泣く権利もないな…と思ったりする


子供の頃などを思い出すと

ずっと優しいだけのお父さんだったな…


昔の記憶

夜の電車に父と2人でのっていた

私は座席に並んですわり

顔を横向きにして

父の姿とらえながら窓の外の暗い街を見てた

なぜか?父は泣きながら

だまって私の頭を撫でてくれた

あれはどんな場面だったのか?

幼くて全く覚えてはいないのだけど

確かにあったある日の出来事


北海道の小さな島で生まれた父

幼い時にお母さんを亡くして

お父さんは冬は出稼ぎに行き

兄弟4人で極寒の冬を耐えたそうだ

↑の話しをしてくれたのは父の姉

私の叔母だ


父は子供頃の話しは全く話さない人

辛い記憶は忘れたいのだろう


↑義父は裕福な農家の家の人で

子供の頃の話しを私に良く話してくれた

↑同居だったから…

昔の話しを義父に聞くのは楽しかったから 

父の話しも聞きたいと思った事もあったのだけど



私はどちらか?と言えば

父の性格に似ていると思う

悪い事は早く忘れて

前向いて日々を淡々と過ごす感じ


島から出て東京で生活をはじめてからは

真面目に淡々と働き 母と結婚して

子供に厳しいところがなく優しい人だった


父の事は好きだったけど

でも苦手な母の方が強い愛は感じた


旦那さんが良く言う

ミリちゃんは凄く優しいけど

表にはあまり出さないよね

相手の出方を待つっていうか…


…たぶん…そんなところも

私は父に似てるのだろう


私さ

20年近くほぼ毎日

こんなくだらないブログをかいてるの

父の頃にもそんなコンテンツあったら

毎日色々と書ているかな?


でも父は外ではコミュ力高くて

↑その辺は弟に似てるんだよな…


父がブログを読んだら

見当違い…って言うかもな…